「私たちは繁殖している(4)」 内田春菊 (ぶんか社)



 さようなら内田春菊。あ、結論から始めてしまった。
 ていうか、このシリーズの三巻から内田春菊に首を傾げ始めたわたくしにとっては、「目を閉じて抱いて」の終わり方もなんだかなあだったし、とちょうどキリ良く諦めがついたといおうか。あと、いま大量に出ている文庫の後書きでトドメですね。
 わたしが彼女のマンガを読み始めたのはちょうど10年ほど前かな。「物陰に足拍子」とか「幻想の普通少女」とかにシビれて、当たり外れがあることも、長編の途中放棄があることも承知のうえで、購入を続けてました。でもなあ。彼女はずっと自分のマンガをフィクションだと云い続けてたし、ノンフィクションだと受け止めるひとが明らかにちゃんと読んでないのが丸分かりな場合もあったけど、長年のファンとしては、この手のエッセイマンガは明らかにノンフィクション混じりだろうと思うわけですよ。インタビューとかの発言と同じようなこと書いてる部分もあるわけだし。で、そこに現れている人間性がアウトだったら、もう読めなくなっちゃったというのが正しいかな。 そしたら、いままではちゃんとした作品を描いてても「あったことそのまま描いてるんでしょ?」扱いをされて悔しい、という気持ちの現われなんだろうなと共感できた「フィクションです」という発言が、いまでは単に責任逃れのひとことにしか受け止められない。それは寂しい。ていうかカッコ悪いよ。本当に。
 こんなにカッコ悪いひとだったかなあ。別れた男のことを悪し様に云うなんてさ。その男がどれだけ理解があって優しくて…とかいうことを書き連ねてきた過去の自分をも罵ってるんだよ。ひいてはそれを読んで楽しんできたファンの気持ちもさ。なんでこう、さらっとやれないかな。「新しい男が出来たので、こっちにしました」って云うだけでいいじゃん。三人こども生んでそれが全部ダンナの子供じゃなかったんなら、慰謝料取られてリコンで当たり前と他人に云われることも予想つかないくらいに頭が悪かったかな。とほ。
 このマンガ自体は、世の育児マンガになんの興味もないわたしには、面白くもおかしくもない…というかちょこちょこ出てくる「こんなに分かってない他人」に対する愚痴や怒りにげんなり。ああ、もう感性が合わないんだな。このマンガだって、最初は妊娠や出産に対する彼女なりの視点が面白かったのに。短編集はまだ買うかもしれない。でももうエッセイマンガは買わないでしょう。

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