「ラリー・フリント」 ラリー・フリント (徳間文庫)


 アメリカのポルノ雑誌「ハスラー」の発行人、ラリー・フリントの自伝。「ハスラー」というと日本では聞き覚えがあまりないようですが、いわゆる「プレイボーイ」や「ペントハウス」を数段下品にしたような写真と痛烈な風刺マンガが掲載されている雑誌だとか。その「ポルノの帝王」フリントとかれを敵視するモラルの番人たちとの法廷闘争が「いつしか表現の自由を勝ち取りアメリカの自由精神を守るための崇高な闘争となっていった…」(裏表紙より)という物語。いや、伝記なんだけど。
 わたしがこれを読んだきっかけは、これを下敷きにした伝記映画「ラリー・フリント」(ミロシュ・フォアマン監督、ウディ・ハレルソン主演)を見たせい。この映画は本当に良かった。なにが良かったって、フリントの妻アルシアを演じたコートニ?・ラブが良かった。ラブリーで蓮っ葉で壊れてて美しくて傷ついていた。フリントとの出会いのシーンも可愛かったし、福音主義に傾倒したフリントに、自分が育てられたカソリック系孤児院で受けた性的虐待について訴え、泣き叫んでその信仰を否定するシーンも痛々しかった。なにより、この本の解説にもあったが、最後に意識不明になった彼女が浴槽に浮かんだシーン、車椅子のフリントが駆け寄るものの、下半身不随の身体では彼女を介抱できず、そのまま「誰か!」と泣き叫ぶシーンは忘れられない。泣けて泣けてしかたなかった。
 で、この自伝なんだけど。まるでカーネギーとかナポレオン・ヒルのごときのアメリカンビジネスマンの成功力学のような、ビジネス社会(というには荒っぽすぎるかもしれないが)での駆け引きと、そうやって、アメリカの貧困層から実力でのしあがっていった青年が、たまたま金儲けの方法のひとつとして選んだポルノ雑誌の発行が、かれをどんどん表現の自由という問題に巻き込んでいった様子がよく分ります。 
 かれは単に、自分がターゲットに選んだブルーカラーの青年たち(なぜならそれこそかれが一番良く知っている人種ーかれ自身ーであったから)が一番喜ぶであろうもの、つまりはプレイボーイよりも数段「見たいものが見える」ヌード写真、お高くとまった有名人をこきおろしたブラックユーモアを掲載した雑誌なら売れると思った。だからそれを出版し、金儲けをしようとしたけれども、同時にすさまじいほどの攻撃に遭うことにもなった。暗殺未遂までされて、下半身が不随になりながらも、かれは闘った。そういう道のりをたどるかれのエネルギーのまっすぐさ、「自分は間違ってはいない」というパワーは、すごいのです。とにかく全体にみなぎるパワー(とくに怒り)のすごさに圧倒されること請け合い。犯罪すれすれのこともやり(ていうかやってるか)、金儲けの為なら暴力も騙しも辞さない、ドラッグも女性もやり放題、悪人といえば悪人なんだけど、そのまっすぐなパワーに、つきあいきれないと思うか、それとも納得するかはあなたしだい。「もし憲法修正第一条(言論の自由を保障した憲法)がおれの権利を守ってくれないんなら、誰の役にも立ちゃしないさ」という一言をたわごとと思うひともいるかもしれないね。わたしは感動したよ。
 もっとも、わたしは「ハスラー」を読めないと思う。女性をモノ扱いしたポルノには人並みに嫌悪感を持つことがあるから。しかし、このラリー・フリントの伝記はとてもパワフルで、真摯で、高潔とさえいってもいいと思います。映画もおすすめ。この自伝がとても上手にリライトされて、フリントの闘争の物語としても、妻アルシアとの哀切きわまりない愛情の物語としても、両方の部分で感動できる作品になっています。

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