「不幸になりたがる人たちー自虐指向と破滅願望」春日武彦(文春新書)



 世の中に時々いる、不幸や悲惨さを自ら選び取ってるとしか思えない人たち、その人々はなぜあえて不幸になりたがるのか?さまざまな文献や新聞記事、ニュースなどから集めた症例を材料に、精神科医がその心のメカニズムを解説した一冊です。春日武彦の本は好きで結構読んでるんだけど、なにが面白いって、このひとの本は症例や文献紹介のあいまに、すっと入ってくる著者の述懐がさりげなくキツイのが面白い(笑)。それはともかくとして、この本で面白かったのは、「面倒」「億劫」という感情が、その人間の不幸を持続させる要因として十分になりえるという指摘でした。
「面倒だから現状のままがいちばん楽。不幸なりに、この不幸はもはや慣れ親しんだ不幸であり、未知の状況と新たに向きあうことの精神的負担に比べたらよほどマシ」

 という一節にぴんとこないひとは幸せなのかも…。不幸とまでいうとなんですが、「あーこのまんまだとダメになるな」とか「いまこうしてるとろくなことになんない」とかいう感じで、現状のヤバさに気づいていたり、他人から指摘を受けても、なんら積極的なアクションに出られない心理状態ってありませんか。「なるようになるさ」っていうのはわたしも大好きな言葉ではありますが、そのバランスの危うさにも目を配っておくべきかもしれない。 確実な幸福が得られず、あいまいな現状があるだけならば、いっそ具体的な不幸が欲しいひと、というのはいくらも存在すると思う。それこそすっごく低レベルな次元の話から生き死にのレベルにいたるまで。わたしはあいまいな現状をあいまいなまま愛していくようにつとめたい。それこそが不幸といわれるのかもしれないが。でも幸不幸って主観の問題でもあるからな…。
 ここでわたしが思い出したのは、山岸涼子の「負の暗示」(「神かくし」『秋田文庫』収録)でした。僻村で実際に起こった大量殺人の犯人がたどった心の軌跡を丹念に描いた寒気のする作品です。引用しようと思ったが、再読するのが怖い。

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