「約束された場所で―underground 2」村上春樹 (文春文庫)



 村上春樹といっても小説ではなく、インタビュー集。前作「アンダーグラウンド」は地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー集であったけど、今回はオウム真理教信者へのインタビュー集である。
 前作「アンダーグラウンド」を読んで私が得たなによりの収穫は、このひとたち(地下鉄サリン事件の被害者)は「私が知っているひとたちだ」という実感を得たことである。私が電車で隣り合わせるひとたち、職場で机を並べるひとたち、町ですれ違うごくあたりまえの個性をもった生きた人間のひとが被害者であったということを知った、ということは、それはとりもなおさず、「私自身が被害にあっていたとしてもなんの不思議もない」と肌で感じることだ。そしてこの実感は、村上春樹による手法によって構成されたインタビューでなくては成り立たなかったことでもある。厚さと題材にヒかないで、一人でも多くのかたにぜひ読んで頂きたい本です。なによりこれは、単純に読み物としても面白いのです。
 そして今回の「約束された場所へ」は、その事件を引き起こしたオウム真理教信者(脱会したひともいれば現役信者もいる)へのインタビュー集。もっとも「アンダーグラウンド」に比べてインタビューイの数が少ないため、どうしてもある種のもの足りなさがある。
 オウム真理教のあの騒ぎについて、私たち世代のオタクはみんな複雑なシンパシーを感じずにはいられなかったと思う。というかあれは我々のお兄さんお姉さん世代のオタク(いわゆるヤマト世代だね)が起こした事件であった、ということは否定できまい。オタク、と決めつけることが出来ないのならば、オタクに近い精神構造を持ったひとたち、でもいい。オウムの自作アニメをみんな笑ったが(私も爆笑した)、あれだって同人誌に載る身内マンガだと思えば、納得できるだろう。ほら、みんな自分のジャンルのキャラクタに自分をキャスティングしたりするじゃんよ。
 でも私が思うに、オタクであると自分を規定できるようなひとはオウムに行かない。自分のうまくいかない人間関係の逃避の場所としてのみオタクをしているひとならいざ知らず(ほら、彼氏が出来たとたんにやおいに興味を無くす女の子っているじゃん。まあそれで足が洗えるていどのホモ好きならとっとといなくなってくれたほうがよろしいが)生粋のオタクはオウムに救いを求めたりはしないだろう。オウムの必要絶対条件である盲目的な帰依、これが出来るような誠実さはオタクのどこを探してもない。
 なぜならオタクは常に冷笑的であり、元ネタ探しが生き甲斐である。そういう意味ではオウムはクオリティが低かったし、センスがずれていた。しかし心ある作り手ならば誰しも、出来の悪い同人誌を作者の目の前で指をさして笑えないように(見えないところでたいがいにしろ、と笑うことはあるにせよ)私たちはオウムを単純に切り捨てて笑いとばすことは出来ない。一部の人間のように犬畜生呼ばわりすることも出来ない。ただ、居心地の悪さに沈黙するばかりである。あのひとたちもオタクになれるぐらい性格が悪かったらひとを殺さずにすんだのにな。

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