「アメリカン・サイコ(上・下)」 ブレット・イーストン・エリス (角川文庫)



 これまた今年読んだ本ではありません。初版は92年。これを取り上げた理由は、「死のロングウォーク」の感想を書いたときと同じく「バトルロワイアル」(高見広春・太田出版)を購入したため。残酷描写が問題になった点で重なるところがあったから、という連想から再読したためですが、いえいえ、これに比べれば「バトルロワイアル」の描写など比較になりません。表現しているものがまるで違うのだから、比べることさえ無意味なのだけれどもね。早く「バトロワ」自体の感想を書けよ、わたし。
 80年代バブル絶頂期のアメリカ、マンハッタンを舞台に、エリートビジネスマンであるパトリックの、物欲と性欲と名誉欲と殺人衝動を描いた作品。作中の殺人描写が問題になったそうだけど、まあ、そういう逸話は作品の出来とあまり関係がないというのはよくある話です。わたしは、すごく好き…というと語弊があるけれども、手元から手放せない作品であります。
 これ、読むひとが読んだら、「なんだこれ?」のひとことだと思う。ストーリーらしいストーリーはなく(同僚を殺したことが露見するかどうかとか、女とくっついたり別れたりとか、漫然とした時間の流れにそった展開はあるんだけど)ただひたすら、主人公パトリックのブランド名に彩られた日常生活(ファッション、セックス、パーティー、ドラッグ等々)と突発的に起こる殺人と暴力場面がリピートされていくだけ、といってもいい話だから。主人公が「何故」殺人を犯すのか、「何故」ステイタスにこれほどまでこだわるのか、そういった背景が具体的に説明されることはない(かろうじて、精神病院に入院中の母親を見舞うエピソードがそういったものを推察させる手がかりといえるかもしれない)。
 つらつらと、まるでカタログのように挙げられていくブランド名に飽き飽きしてきた頃、直接的なセックスと殺人場面が登場する、その繰り返しに不快な気分になるひとも多かろうと思う。登場人物は誰もが表面的な人格と感情に左右される安っぽい人間(それはとりもなおさず語り手たるパトリックがかれらをそう見ているからこそ、なのだが)であり、感情移入するのも難しい。でも、わたしはその繰り返しにどんどん加速がついてやがて微妙にぶれていく展開、さらにパトリックの人間性がどんどん破綻と崩壊へと突き進んでいくその勢いが、たった一文でせきとめられるラストに感心した。終わりのない終結。見事だと思う。
 だいたい、連続殺人犯、それも精神的に破綻をきかしたうえでの快楽殺人犯などというものの心情が普通に理解できるはずもない。けれど、この作品を読めば、そこらの凡百のノンフィクションものよりも、かれらの虚ろさ、手がかりの無さ、不安定さと離人感、なによりもその禍々しさというものを感じると思う。これを読むことにより感じる不快感は、決して直接的な残酷描写のせいではなく、それを行う主人公の心情と欲望の歪みや空しさからくるのではなかろうか。ここにはなにもない。ブランド名のロゴや有名人の名前、予約でいっぱいのレストランの名前をかきわけてみて、そこに見つけることが出来るのは腐敗し始めた女の足首や焼けこげた金髪の一部だけかもしれない。その虚無感こそが、この長い物語の収穫だろう。
 猟奇殺人モノがお好きなかたおよび80年代のアメリカ文化に興味があるひとにおすすめ。フィクションのこの手のお話では、もっとも本物に近い味わいがする一冊です。

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