「からくりサーカス(1)?(29)」藤田和日郎(小学館・サンデーコミックス)



(8巻) 
 このひとの前の作品「うしおととら」が終わったあとって、正直云って心配になったものだ。あれ以上のものが描けるとは思えなくて、ましてや「うしとら」は初連載だったわけだから、描けるものを全部描いちゃったんじゃないかな、と思っていたのだ。だって「うしとら」は本当に良かったもん。あれぞ少年マンガの醍醐味、正しい少年マンガ。それに何回泣いたか分からない。ラストのあのエピソードを単行本を5、6冊かけて描くことが出来た藤田和日朗は本当に幸せだったはず。あれを読んでなんとも思わない人間は、感性が虫以下。
 しかしながらその次の連載である「からくりサーカス」はもっとすごいのだ。これに比べれば「うしとら」でさえ遠慮してたんじゃないかってくらいに、設定も物語展開もキャラクターもやりたい放題の暴走機関車状態。いま、描いてて楽しいんだろうなあ、って読み手に伝わってくる。このひとはきっと天性の物語作家なんだ。いろんな設定、エピソード、人物、そんなものが次々湧いてくる、そういう種類のひとなんだ。そしてなにより私はこのひとの健全な感性が好き。人間や世界の間違っていることや卑怯なこと、ずるいことを平気で「それは間違っている!」と怒れるきれいな心が好き(篠原烏童なんかもそういうひとですね。「純白の血」には泣いたよ)。だけどこのひとはそれと同時に、ときには間違う、卑怯になる人間というものも、決して否定しないの。だからこそ、このひとが描くのはいつだってマイノリティの人々なのだ。そういった正しい感性に支えられて怒濤の物語が展開していく、その快感っていったら。ああ、物語って面白いよね、おはなしって本当にすごいよね。私はこういうものが読めて本当に幸せだよ。
(12巻)
 12巻は、文句無しの怒濤の展開にひたすらどきどきしました。鳴海がデビルマンになっちゃったよう。藤田和日朗というひとは、物語描きに必ずある心の地下室みたいなものをちゃんと持ち合わせているひとなので、大好きです。個人的にはヴィルマの活躍が見たいです。ああ、かつて少年マンガにここまで自然なビアンのキャラが登場したことがあっただろうか?(笑)。
(23巻)
 そろそろ誰か藤田和日郎にタイムスリップ禁止令を出してはくれんか。いや、この展開も面白いし、すべての登場人物に過去があり、とうとうと流れてきた宿命の河があるのはよく分かる。それがあってこその現代というのも。でもなあ。そういうの、せめて外伝で処理してはくれないか。早く鳴海としろがねを逢わせてくれよう。
(28巻)
 すまぬ、そろそろわたしは投げてもよいか。いやその。すごく面白いし、はっとさせられるシーンもあるし、この巻でもグリポンくんのくだりとか泣いてしまったのですが、それでもやはり「二年」(←ネタバレ)の展開には文字通り倒れました。レスキューレスキュー。同様に感じたアナタはギミヘルイエァー。先生!もしかしてまだ藤田和日朗にタイムマシン禁止令を出してなかったのですか。いや、これがジャンプ連載とかだったら「ああ大変なのね、連載を続けなきゃいけないのね」と無理やり好意的に受け取ることも出来るのだけど、作者本人、ノリノリって感じがするんだもんなあ…。今巻から始まった「解説コーナー」にも激しく萎え。本誌のおまけページならまだしも、コミックスにつけるものかなあ。物語に直接語らせればいいと思うんだけど。ここまで付き合ったからにはラストまで見届けますが、どうぞ「うしとら」以上に納得のいくラストにしてくださいよ。わたし、それでも他のどの少年誌連載マンガより楽しみに読んでるんだから。
(29巻)
 さすがにこれ、まだ付き合わなければならないのかという気持ちになってしまいました…。嗚呼まさか藤田和日朗の漫画にそんなことを思う日が来ようとは。究極的に、同じパーソナリティをもつキャラが名前と外見を変えて出てくるだけなんだもの。これを否定するのは胸が痛むほどいい話だし、続きは気になるから、それはもう最終巻まで付き合いますが、なんとかならないかな。

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