「ゆうきまさみのはてしない物語?地の巻」ゆうきまさみ(角川スニーカー文庫)



 なにやら、最近はアニメとかマンガの影響で犯罪を起こす若人がいるとかいう話を耳にして、ああ人間をそんなに単純な存在に翻訳できるひとは幸せだなあきっと自分がそうだから他人もそうだと思うんだなとか感じたんですが、そこらへんのことを確かゆうきまさみが考えていたなあ、と本棚から取り出してみました。
 以前は角川からコミックスが出てたんですが、いまはスニーカー文庫から仕切り直しで出たのかな?現在もアニメ雑誌「ニュータイプ」に連載されているエッセイマンガです。とりあえず、前巻の「天の巻」に続くこの巻には、単行本には未収録の分も入ってます。時期的には93年?98年。ゆうきまさみ的には「パトレイバー」から「じゃじゃ馬」へと移行してた時期かな。
 わたしはゆうきまさみというひとはとても真面目なひとだと思ってます。オタクって基本的にナイーブで社会正義に目覚めてるひとが多いんだけど、そのある種の典型かと思う。でも、その素直なまっすぐさがこのひとのマンガの良さだ。例をあげるなら、「パトレイバー」における内海のラスト。この作者ならではのちゃんと筋が通った真面目さが、あの卓越したキャラクターに、ああいうかたちのラストを用意させたことを、わたしは正しいと思います。異論もあるだろうけどね。
 で、その真面目さがこのエッセイでも魅力になってると思うのね。たとえば、P38の「はらただしいぞニッポン」での
なにが腹立たしくてなにが怖いかと言うと、この国の人たちが自分たちを痛めつける者を平気で支持していることだ/正確に言うと、他人が痛めつけられているぶんには無関心、いずれ自分の番がまわって来ることに一時も思いいたらぬ無自覚さや想像力の無さに腹が立つのだ
 という箇所など、単に青臭い主張だと思う人もいるだろう(作者本人も「なんだか精神状態が良くなかったらしい」と注釈をつけてる)。でも、わたしはこの真面目さと理想は、案外悪くないと思ってる。いや、こういう考えがあったって当然じゃないですか。斜に構えるのも自由だけど、まっすぐになるのも自由なはずだから。そして、問題によってどっちに揺れるのも、それは自然だと思うんだよね。ひとは思想を使うべきであって、思想に使われてはならない。
 まあ、この本は、一つのテーマが見開き2pで展開される形式のエッセイマンガなので、取り上げられるジャンルはさまざまです。それこそ、自作のことから一般アニメ、オタクジャンルのこと、競馬話や社会一般のつれづれについて、真面目な面ばかりを指摘しましたが、そこはそれ、ちゃんと読みものとして楽しめる軽快さと分かりやすさも備えています。面白いよ。
 で、わたしが最初に思い出した「マンガの青少年に与える悪影響について」は、三回にわたって触れながら、あーでもないこーでもない、と、いろんな可能性や考察を並べて、悩みつつ、これといった結論は出せないままでいるんですが、それもまた真面目な実作者ならではかなと。当たり前かな。ケースバイケースなんだから、結局。
 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする