「渚にてー 人類最後の日ー」ネビル・シュート(創元SF文庫)



 第三次世界大戦勃発により、世界中で水爆とコバルト爆弾が炸裂した。広がっていく放射能によって、次々と死滅していく国々。南半球に位置するオーストラリアだけは、まだその汚染をまぬがれていたが、刻々と南下していく放射能により、そこに生きる人々の運命も、もうまもなくの終わりを告げられていた…。
 静かな諦観に満ちた、しかし美しい小説です。派手な展開やこけおどしの激しさはなく、淡々とひとつの終わる世界が描写されていきます。ごく平凡な人々が、じぶんたちの終わりを目前にしながらも、それでも来年咲く花の球根を植えます。そんなさりげない描写こそが、この世界の絶望を、より色濃く表現しているような。わたしたちは本当の終わりを目の前にすればするほど、かえってそれが信じられなくなるものではないでしょうか。それがゆっくりと来るものであれば、なおさら。
 様々なエピソードが語られますが、なかでも、アメリカの潜水艦の艦長ドワイトとオーストラリア娘のモイラのエピソードが、せつない。ドワイトはアメリカに残してきた妻とこどもたちがすでに死んでいることを知りながら(なおかつ自分が故郷の地を踏むことはないことも承知しながら)、かれらへの土産物を選びます。そして、故郷を失ったかれに「しょっちゅうなにかさせておく」ため「でないと、泣き出すかもしれない」から、関わりを持ったモイラは、かれに恋をしながらも、妻を裏切らないというその意志を尊重するのです。なにせ、かれらには時間がないのですから。新しい運命、新しい出会い、それらを育てていくことが出来ない世界。つまりは未来が絶たれている状況のなかで、二人は、この出会いを清廉なままで成就させます。 
  なにしろ、これは1957年に書かれた小説なもので、ここらへんの倫理観は、いまの感性からしたら単なる綺麗ごとに見えるかもしれない。けれども、たとえ2003年のいまであっても、ある種のひとというのはこういう究極的な状況に立ったときは、己の良心に恥じない行動を取るのではないのでしょうか。わたしはそれを綺麗事と呼びたくはないなあ。
 原題の「ON THE BEACH」というシンプルな響きがそのまま広がっているような、静かな終末を描いた作品です。ソ連とNATOの交戦がそのままソ連と中国の戦争へと発展するというシナリオは、もはやありえないかもしれないけれど、ただ登場人物が違うだけで、いまの世界にも十分に起こり得る悲劇であるのは確か。ただ、肝心なのは、だから平和がどうとか戦争がどうとかいうことではなく、ひとつの大きな運命のなかでそれをいかに受け入れていくのか、そのなかでも自分らしく振舞っていくということはどういうことなのか、ということではないのかな。政治的な小説ではないです。
 翻訳SFが苦手なひとでも、たぶん大丈夫。SFというよりは、ミステリーや普通小説により近い雰囲気を持つ小説です。

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