「モダンガール論」斉藤美奈子(文春文庫)



 斉藤美奈子は、ナンシー関亡きあと、リアルタイムの女性批評家として、わたしのとても好きなひとです。書評が中心ではありますが、いろんな分野を語れるうえに、その視線がきちんと定まっている。いくらかあるフェミニズム色を嫌うひともいるかもしれませんが、現代の日本で女性があるていど社会的発言をするとき、フェミニズム的な視点を抜きにするほうが不自然だとわたしは思うのでOKです。そればっかじゃないし。斉藤美奈子の魅力というのは平易な文章でさくっと語るその物言いにあると思います。毒舌とも云われるが、そういう表現は似合わないな。むしろ見も蓋もないというか(笑)。
 さて、この本は「女の子だって出世したい!?欲望史観で読み解く百年史ー」という帯の文句にあるとおり、明治・大正・昭和の100年を通しての、女の子にとっての「出世」(いわば「幸せ」「自己実現」)というものはどういうものだったのかというテーマを各種資料と統計をベースに読み解くものです。男の子にとっての出世とは「社長になること」であるけれど、女の子にとってはそれにくわえてもうひとつ「社長夫人」という出世の道があるのです…と、職業婦人か専業主婦か、という選択肢のなかで揺れ動いてきた100年間の女の子たち。当時の雑誌記事や統計によって描き出されるその姿は、歴史や文化の変化に翻弄されつつも、芯の部分ではいつも変わらないような気がします。いわく「幸せになりたい」「自分が自分であることを認めたい、認められたい」という気持ち。その純粋な欲望が、時には社会や政治に利用されたり非難されることもあったのですが。
 個人的には、そのなかでも、第二次世界大戦当時、戦争という非常事態のなかで、生き生きと働いた女性たちの姿を語った箇所が興味深かったです。
戦争には『階級差別』と『性差別』という平時における二つの差別を忘れさせる効用がある。国民皆働のかけ声と物資不足からくる耐久生活は『国民皆平等』の錯覚を起こさせる。さらに『男は戦争/女は労働』の戦時政策は、「女性の社会進出→婦人解放』の幻想を抱かせる。戦争=銃後の暮らしは女性に「出世」を疑似体験させるのだ」(P216より抜粋)
 勿論、筆者は戦争による悲劇を否定しているわけではありません。ただ、戦争という状況のなかで立ち働いた女性たちと彼女たちの求めたものがなんだったのかということを指摘しているのです。戦争というものがただ悲劇であり辛く哀しいものだけであるのならば、なぜ戦争は起きたのか。軍国少年の視点からではありますが、小林信彦も「ぼくたちの好きな戦争」(新潮文庫)でそこらへんの問題について触れていたかと。あれは、なんだったのかと。
重要なのは、戦争がどんなに悲惨な結末を迎えたかじゃなく、人々がどんな気分で戦争をスタートさせたか、だ」(P217より抜粋)
 それをいま考えることは、現在の社会情勢を思ってみても決して無駄ではないような気がします。むしろ、この箇所は、いまこそ立派な警鐘になりえていると思います。
 あと、それに比べるといささか卑小な話になりますが、大人(マスコミ)が若い娘をバッシングすることは、明治以来の伝統だったんだね、と勉強になりました。頭髪・服装・言葉遣いの三つの情報から、短絡志向で叩かれてきたのは、明治の女学生から昭和のOLまで変わらない姿だったわけです。そこらへんは資料を基に紹介されてますが、いやはや。変わらないってすごい。なんか基本にそういうものがあるんだろうな、とt.A.T.u.の受けたバッシングを思い出したり。次元が違うかな。
 そして、そんな女の子たちによる悪戦苦闘の100年を読み解いたあと、当然我々が思うのは「いまの女の子にとっての成功はなんだろう」ということですね。社長になるのも社長夫人になるのも、困難なうえに単純な上がりにはならない様子。だとしたら、平成の女子の欲望にはどんな解答が用意されているのか。それは文庫版での筆者による付記で触れられていますので、直接それを読んでほしいのですが、とりあえず云えるのは、楽な道なんてどこにもないということ。しかしみんな楽しく欲望を満足させて生きていきたいことには変わりない。ならば100年のあいだ、頑張って生きてきた先輩のオンナノコたちの残した道しるべを参考に、マニュアルじゃなくやっていくしかないってことでしょうか。遠回りに見えるけど、実はそれが一番確実そうだ。
 内容は歴史をふまえて語られるので、一見、とっつきにくそうですが、斉藤美奈子の文体は軽くて分かりやすいうえにユーモアがあるので大丈夫です。男子が読んだっていいんですが、とりわけ女子におすすめ。100年前から女の子は女の子でした。そんな当たり前のことを、きっちり教えてくれる一冊です。 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする