「伊豆の踊り子・禽獣」川端康成(角川文庫)



 先日「雪国」を読んだことに始まって、読み進めていくことに決めた川端ですが、次はやっぱりベタにこれ。タイトルだけは知ってるというひとは多いだろう有名作です。なんか表紙も叙情的なので、退屈しなけりゃいいけど、と読んでいくうちに、これがなかなかそれどころじゃなかったり。この本には全部で8つの短編が収録されてますので、そのなかでも印象的な作品の感想を書いていきます。
「伊豆の踊り子」
 まあ表題作だし、有名だし。素直にいい話でした。人生に疲れた旧制高校生である主人公が一人旅の途中で旅芸人の一座と出会い、そこにいる踊り子に惹かれるというストーリー。恋愛にまではとても至ってないのに、相手の仕草や表情にぐいぐいと心惹かれていく表現が美しかったです。この話に限りませんが、日本語がとことん美しいよ。最初は踊り子にちゃんとよこしまな考えも持っていたのに、相手があまりにこどもであることに気づいて笑ってしまった主人公が潔し。
「青い海暗い海」
 最初にわたしが「ん?」と思った一作。「伊豆の踊り子」のあとにこれを持ってくるのはすごいね。心中の生き残りによる第一の遺書と第二の遺書で構成された一作です。色んな意味で幻想小説です。もう、物語がどうこうというレベルじゃなくて、文章の妙に酔わされるような。一緒に波の下に沈んでいくような。ぶくぶく。するすると広がっていく言葉が織りなす幻想世界がシュールで、美しい。しかしそれでいて、
「黒い海を見てごらん。私は黒い海を見ているから、私は黒い海だ。あなたも黒い海を見ているから、私の心の世界もあなたの心の世界も、この黒い海だ。ところが、私たちの眼の前でこのあなたと私との二つの世界が同時に一所を占めながら、いっこうぶっつかりも、弾きあいもしないじゃありませんか。突き当たる音も聞こえないじゃありませんか」
「私にわからないことはおっしゃらないでね。信じあって死にたいから。気違いじみたことを言わないで死ねるうちに死にましょうね」
「そうだ。そうでしたね」

(P55より引用)
 この心中前の男女の台詞の不思議なかみ合わなさのリアリティと幻想感はどうだろう。たまらないなあ。
「禽獣」
 これよ。これなのよ。凄いよ。小鳥を中心にした小動物を飼わずにいられない主人公。かれが愛する小鳥たちへの感情と、かつての心中相手に対する気持ちの不思議な相似形。偏執的な禽獣への執着に冠する表現にこめられた感情は、淡々としているから、余計になにかがちらちらとこぼれてくるような。そして最後の一行に集約される、かれの空っぽの心情の凄みに圧倒されました。
「慰霊歌」
 すいませーん、川端康成がこういうひとならどうしてもっと早く教えてくれなかったんですかー。これを読んで、どこともしれぬ思い込みの壁にそう叫びたいわたし。これは霊媒小説です。美しくも柔らかい文章で綴られる、少女に呼び出された幽霊と若い男の交流は、冷え冷えとしてとてもこの世のものではありません。なにもかもに性急な若い男の残酷さが印象に残ります。呼び出されたものは本当に霊なのかしら。それとも…。
「むすめごころ」
 これは少女小説?親友の幸せを願う少女心理の奇妙さを巧みに表現した一作。なんでこんなに思春期の少女の混沌を表現するのが巧いんだろう。人間の心理というものは、まず正論によっては動かず、論理的に動くならそれは感情とは云えない。ドラマを創るからには、その人間の心理がとても奇妙なものでありながらも読者を納得させるものでなくてはならない。その計算が、リリカルかつみずみずしい文章で優しく語られながら構築されていくのだから、それはもうただひたすら読み進めていくしかありません。最後の静子と咲子の会話には泣けました。この話を翻案した少女マンガがいくらでもありそうだ。
 思えば、わたしが川端康成を「ノーベル賞を取った偉い美しい日本の作家」以外のかたちで知ったのは、星新一が「掌の小説」(新潮文庫)をエッセイで褒めていたことだった。あと、栗本薫選集のアンソロジーで「片腕」という奇妙かつ愛らしい小説を読んだのも印象に残ってる。なんだ最初っからそっちに向いてたんじゃん、わたしのアンテナ。というわけで、川端康成は、わたし好みの奇妙な幻想話を書いてくれた作家らしいという認識のもと、次は、購入したものの、初読以来積んである「掌の小説」を再読しようかと思います。ああ、こうやってちまちまと、己の趣向を詰めていくのが楽しいオタクでよかった。

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