「メディア・コントロールー正義なき民主主義と国際社会」ノーム・チョムスキー(集英社新書)



 こちらは現代政治とメディアの関係についてが中心ですが、ちょっと難しいので、少しずつ読み砕いていきました。メディアと情報工作の歴史を、チョムスキーが情報を操作する側からの語り口で解いていきます。ここで語られているのは、組織的宣伝のからくりと、それによって世論が流されていく流れです。これを読んで世の中そこまで単純じゃないと思うひともいるかもしれない。けれどわたしはここで提示された「重要なのは多数派とされる考えではない。自分の頭でものを考えることだ」というこれまたシンプルな考えを、まっとうと思います。チョムスキーは触れてないけど、世論に対する個人の異議申し立てについては、ネットの力も大きいと思う。
 そしてこの本には日本の作家辺見庸(「もの食うひとびと」で有名ですね。わたしが真っ先に思い出したのは西原理恵子の描いた「どんどんぱんぱんどんぱんぱん」ですが)によるインタビューも収録されていますが、なんか、チョムスキーにこてんぱんにやられています(笑)。振る話題振る話題、ずばずば切られてるよ。これを「なんて偉そうな奴なんだ」と取るか「カッコイイ」と思うかは、読むひとによるでしょうが、わたしはチョムスキーのおもねることない姿勢が当然だと思ったし、その鋭い言葉はなにも辺見庸だけに向けられているのではなく、同じ日本人であるわたしにも向けられるのでしょうから、いろいろと考えることありました。チョムスキーにとっては、アメリカが特別でないように日本も特別ではない。
それこそ彼自身が「他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいて『アメリカ人はなんてひどいことをするんだ』といっているのは簡単です。日本の人たちが今しなければならないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としていられないのではないですか」というように。
 しかしその厳しさに、これを真っ向から受け止めなくてはいけないアメリカ人の多くが、かれの存在を批判したりあるいは無視したりする感覚も、ちょっと分かったような気がしました。
 そして思うのは、このような世界状況のなかで、わたしのような一個人にはなにも出来ないという事実と、しかしそのなかでもわたしがなにかを考えること、そしてそれを表現することは、少なくとも、わたし個人にとっては意味あることなのではないかということです。ネットとかそういうことは置いといても。わたしなんてたいした考えもないくせに怖がりなただの人間ですが、それでも。

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