「いま私たちが考えるべきこと」橋本治(新潮社)



 両親以外に、いまのわたしを創ったひとがあと何人かいるのなら、間違いなく治ちゃんはそのひとりなわけですが、最近の著書は、何度も何度も考え直し検討しながら読まないと、とても頭に入らない哲学書(昔からそうだとは思います)と化してきたので、なかなか手にとれずにいたのです。これもそんな一冊です。しかし、その一見、回りくどくつかみどころない文章からこぼれだしてくる、かれならではのとてもピュアな視線と誠実な姿勢に、今回はとりわけ打たれました。これは「普通」と「個性」のはざまで揺れてきたひとびとへの謎解きの一冊です。とりわけ第11章の「個性とは哀しいものである」は、非常に胸痛い文章が並びます。
「『一般性をマスターしたその上に開花する個性」などという、都合のいいものはない。個性とは『一般性の先で破綻する』という形でしか訪れない――そういうものだから、しかたない。『個性を獲得する』は、『破綻』と『破綻からの修復作業』なのである」
「個性はそもそも『傷』である。しかし、日本社会が持ち上げたがる『個性』は傷ではない。一般性が達成された先にある、表面上の『差異』である。だから、若い男女は『個性』を求めて、差異化競争に突入する。その結果『雑然たる無個性の群れ』になる。無個性になっていながら、しかし『没個性』は目指さない。目指さないのは、彼や彼女の根本に『傷』がないからである」

 「個性」とは「傷」であること。橋本治はいつもこうやって、昔から知っていたはずなのにどうやって表現すればいいのかわからなかったことに、答えをくれます。久々にその答えに出会いました。これから何度も読み返すでしょう。「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」や「雨の温州蜜柑姫」や「風雅の虎の巻」や「虹のヲルゴオル」やその他たくさんの作品たちと同じように。癖があるひとなので、万人におすすめできるわけではありませんが、でも、わたしは好きなひとだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする