「神菜、頭をよくしてあげよう」大槻ケンヂ(ぴあ)



 オーケンのいつものエッセイ本であります。音楽のことや生活のことなどとりとめなく語ってるようで、いま一番良いスタンスでそれらに向かっている感じがするオーケンの姿が浮き彫りとなっていて、オーケン好きにはおすすめです。とくにオーケンに興味がないひとでも、気楽に読める一冊かと。
 しかし、一生遊んで暮らせるバンドマンという生活を選んだいまは幸せだよライブ楽しいよイエーと書いてる現在のほうが、昔の、タイアップなんて糞だよバンドの運営って中小企業だよいいかげんな奴ばっかでトホホだしなにより病んでる俺が一番トホホ、と書いていた昔よりも、ずっと他者へのエッジが効いてて、目つきが厳しい感じがするんですけど。あんまり云わないようにしてた部分をあえてむき出しにしてるような、そんな印象。無礼な人々や分かってない世間への怒りとか侮蔑の表現が一段と、なんか意識的に厳しい。これまでそれなりに気を遣ってたのを、あえて放棄してみた、そんな感じがする。
 あと、わたしは、オーケンはその『適度』さがちょうどいいと思う。アングラでもヲタクでも、その程度がとても適度なところで止まっている。どんないくらでも深くなり得る素材に当たっても、ある一定以上には行かない(UFOはやばかったのか。でもあれも途中でストップしたんだよな)。そこがこうやって文筆業でも成功したポイントなんじゃないでしょうか。
 あと、蛇足ですが、この本は筋肉少女帯の曲からタイトルを取っているのですが(アルバム「レティクル座妄想」収録)、昔、わたしはとてもこの曲が好きでした。それが、ある時期を境になんかやだなあと思うようになった。してあげようって何様かね。だけどさらにしばらく時間がたったら、この曲の一生懸命の空回りさが、好き嫌いはあれど青春なのかなとまた思い直すようになりました。聞く時期によって評価が分かれる曲ってなんかいいなと思います。

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