「ザ・スタンド(全5巻)」スティーヴン・キング(文春文庫)


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 連休を潰して、新型インフルエンザで滅亡したアメリカを彷徨っていました。すべてがようやく終わった。いまでは、やっと解放された気持ちでイッパイです。というわけで本の感想。
 全5冊。しかも一冊約500ページ。その厚さと長さに購入してからも半年以上は手をつけずにいた作品です。いや、これを書いたキングも偉いけど二日で読んだこっちも褒めてくれ、という感じでくたくたです。だったらゆっくり読んだらいいじゃないかって?途中で小休止できるような作品だったら苦労はしません。 活字を追って目が痛くなったし、ずっと同じ姿勢だから肩や手も強張って痛んだ。死体や病の描写がてんこもりなので自分まで気分が悪くなって、睡眠を取っても悪夢を見る始末(闇の男こそ登場しなかったけれども)。さらに、最後の巻にたどりつくまで陰鬱な気持ちが抜けなくて、文庫本を持ったまま、電車のなかでふと周りを見回すだけで、もし本当にスーパーフルーが流行ったら、ここにいる人間みなが座席に座り込んで倒れたところを見ることになるんだと思って、つかのま慄然としたり(あまりにもたくさんの人間、あまりにもたくさんの犠牲)、とてもしんどい読書体験だったけれど、それでも先を読まずにいられない、物語の続きを知りたい気持ちに文章を目で追う能力がついていかないもどかしさに吐きそうになった。まさに力づくで物語に耽溺させられてしまった数日間でした。面白かった。
 物語自体はいたってシンプルです。高い致死率と感染力をもったインフルエンザウイルスが、軍の研究所から漏洩し、アメリカ全土がほぼ壊滅の状態となります。ウィルスの免疫に恵まれ、生き残ったごく少数の人々が、かれらの生命を操ろうとする闇の力に対し、善の力のもとで闘うことになるというもの。発端だけだと小松左京の「復活の日」ですが、こちらが世界全土を覆う災厄と人類の復活を描いているのに対し、キングの作品では、アメリカ以外の外国について触れられることはほとんどありません。まるで、アメリカのみが世界であるかのように。
 キングというひとは物語のオリジナリティとか設定の妙とかでなく、とにかく人物造形で読ませるひとだとわたしは思っているので、そういうところでのキングの力量を思い知らされる作品です。主役級の人物に限らず、ほんの数行のエピソードで人生が語られる人物までも、その髪型や着ている服が浮かぶような。そしてそれら無数の人物の運命が交差して重ねあわされ、そのまま神と悪魔の闘いという大きな流れにつながっていくその展開のダイナミックさよ。しかも、抽象的じゃないし。悪魔、ほんとにいるし。
 なにより、わたしはキングがとことん物質的でありつつも、大事なのは「愛」と云って恥じないところが好きです。それは神によって無条件にもたらされる僥倖ではなく、人間同士の営みから立ちのぼるほのかな温もりのようなもの。さらに、人間としてのプライド。過ちや迷いのなかで、怯えながらも、正真正銘の悪魔の前でも笑いを止めない自負心。もちろんキングはそれだけの作家でなく、それらを打ち消しても余りあるかもしれない(笑)ホラー作家としてのグロ趣味も必要以上に持ち合わせている。映画化された作品の多くが文学よりなせいもあって、なにかと感動的な部分ばかりが取り上げられがちだけど、その両者のバランスこそが、キングだと思います。なんせこのひとは大真面目に、吸血鬼を、超能力を、墓から甦る死者を、悪魔を、語るひと。その生来の趣味のアレさは、好き嫌いはあれど、そのジャンルに惹かれるひとにとっては無視できないものであるはず。そのどちらも、アメリカ的。とてもアメリカ的。
 そして、本書を全巻読破したあとで、「ザ・スタンド」の創作メモが掲載されてたのを思い出し、キングのホラー評論集「死の舞踏」を読みました。そして、以下の一文を発見して笑いました。(バジリコ株式会社「死の舞踏」安野玲訳 751頁より引用)
 「そうです、みなさん、『ザ・スタンド』で私は全人類を滅亡させる機会を得ました。これが楽しいのなんのって!」
 あんたやっぱりそういうひとだ。

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