「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」岡崎京子(平凡社)



 岡崎京子のマンガでなく文章による掌編と散文集。
 すべて事故前に書かれたものであるようですが、最後の著者紹介のところで「のんびりとリハビリテーションに励む日々」とあってほっとしました。
 とても短い、物語といえないつぶやきのようなものから、創作ノートまで、様々なものが掲載されていますが、驚いたのは、マンガでなく活字であるにも関わらず、そのどれもがくっきりと岡崎京子のものであること、でした。漫画家さんの文章にここまでの印象を感じたことはない。読むだけで、それがそのまま岡崎京子のマンガになってイメージが浮かぶ。活字であるにもかかわらず、岡崎京子のマンガを読んでいるのとまったく変わらない印象。これはすごいなと思います。
 とりわけ「ノート(ある日の)」は、「ヘルタースケルター」(たしか)の帯にも引用された「いつも一人の女の子のことを書こうと思っている」という一文で始まる、創作ノートのようなもの。けれども、もしこれに岡崎京子の絵が添えられたとしたら、それはそのまま作品となり得るはず。もちろん、この活字のままでも、これは十分に作品だと思う。このノートにこめられた諦観と絶望と悲鳴のようなものほど、恐ろしいものはない。どこにも逃げ場のない女の子の、断末魔のため息が聞こえてくるような。
 ファンは勿論、岡崎京子のなかでも後期の作品が好きなひとには、とくにおすすめです。
 

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