グルグル映畫館「ワンマンライヴ」(大阪南堀江knave)感想

 グルグル映畫館。イベントでは二回見てますが、ワンマンは初めての参加です。なので、グルグルとのお付き合いはライブというより音源と日記が主でした。でも新メンバーになってからの音源はとくにお気に入りが続いていたので、日曜日に大阪という好条件のワンマンを知り、喜びいさんでの参加となりました。
 大阪入りは昼過ぎ。ネットで知ってからお気に入りの和柄のお店で軽く負けて(聖llに着て行くしかないような服を買いました…)から、真夜さんと合流。そごう前でキャンペーン中のそごう営業部員に二人で萌えてから(いい眼鏡だった)、ゲチストのお嬢さんと合流してご飯食べたりお茶したり。大阪はカフェといい洋服屋といい、素敵なお店が多すぎて眩暈がします。
 南堀江knave(公式サイト)は、初めて行ったハコ。微妙に地下鉄の駅から離れてるので、帰りに呑みたいわたしは心配にもなりましたが、ハコ自体はこじんまりとして良い感じでした。
 さて、ワンマンの感想です。わたしは、先に述べたように熱心なゲチストとは申し訳なくて名乗れないていどのファンでしかありませんし、あまりグルグルさんの歴史にも詳しくはありません。ので、的外れなことを述べるかもしれませんが、そこらへんはご容赦を。
 まず、自分的に発見だったんですけど、とても勘違いしてたことに気づいた(笑)。いや、わたしはずっと、グルグル映畫館は「懐古派」のバンドだと思ってたのです。だって昭和歌謡だの学ランだの下駄だのって小道具を見てたらそう思うじゃない。「キネマの天地」がOPSEのバンドだよ?それが、いやあ、えらい勘違いでした。全然、そうじゃない、懐古してない。これ、「いま」だ。
 音源だけでそれに気づけなかったのは、わたしの鈍さのなせる技かもしれません。しかし、今回、ワンマンというイベントとは違って統一された空間でライブを体験することによって、それに気づけた。すごく刺激的で面白い体験でした。確かに一見、思春期の混乱や傷つきやすさを題材にやっているように見えるけれど、天野氏にとっては、その感じかたが、とてもリアルな「現在」なのではないかしら。いま、まさに進行形である迷いや戸惑い、痛み。その表現が瑞々しいものであるからこそ、音源だけで聴いたときに、わたしはそれを過去だと感じた。それくらいに生々しいものであるから。けれど、断片的にならざるをえないイベントでなく、ワンマンという空間でそれらと対峙したときに、その切実さをまさに「いま」ならではのものであると感じることができた。これ、すごく良かった。自分なりの「グルグル映畫館」という存在に出会えたような気がする。
 今回、ワンマンで純粋にゲチストであるお客さんを見て、その多くが10代か20代はじめの若さであることに、最初は違和感を感じたのでした。なぜなら「懐古派」だと思ってたから。でも、違うよね。この迷いがリアルに実感できる進行形で存在しているからこそ、そのまっただなかにいる年代のお客さんにはしっかりと届くのではないでしょうか。でも、じゃあ、天野氏と同年代の人間にはこれがどう映るのか。ただの青さに映るんだろうか。
 わたしはそうは思わない。それは、そういった戸惑いや悩みという感性は、べつにオトナになれば解決するわけではないから。オトナになれば単に、そのやり過ごしかたを知るだけだ。それはそれでやるせない。そのやりきれなさを知るオトナであればなおさら、この視点に、生々しく迫ってくるものなのかもしれないです。
 もっとも、この天野氏の視点が普遍的に受け入れられるものであるかといえば、そうともいえない。若くてもこれが分からないひともいるだろうし、これを「弱さ」と受け取って嫌うひともいるだろう。また、この鋭敏ともいえる感性ならではの酷薄さを受けつけないひともいるかもしれない。年齢を経てもなお、これを受け入れるひとというのはけして多数派ではないような気がする。だから10周年がファームなのかもしれない(失礼)。でも、わたしは思うんだけど、ファームだろうとBLITZだろうと関係なく、これを10年続けられるというのはすごい実績でないでしょうか。それがただの懐古でも郷愁でもなく、リアルに現在と向き合っている(たとえ過去のことをうたったとしても、現在の視点という濾過をちゃんと経ている)、その真摯さが、10年という結果につながったのではないかしら。もちろん、グルグルも天野氏も色々と変化し続けただろうけど、表現を10年続けるって、すごいことですよ。
 と、こんな偉そうなことを、グルグル映畫館との付き合いもそんなに深くないわたしが印象だけで申しあげてみました。でも、この自分なりの気づきが、とても刺激的に面白かったのです。
 まあ、真面目な気づきはこんなところで。あと、普通に感じたのは、音の気持ちよさ。これも様々な曲を聴けるワンマンでないとここまで体感できなかったと思う。アニキのドラムはどこまでもジャパメタの匂いがして心地よいです(笑)。現在のメンバーの音は、なんていうか実にいなたくて重いけれど、軽妙さもあって、すごく好みなのです。ああ、一度でいいからライブでわたしがもっとも愛する「そのままでいいよ。」を聴きたいものだ。いつ聴けるんだろう辛いよ。
 あと、告白すると、わたしは天野氏の背中と指が大好物なのですが(食えないけどな)、今回も「紺碧さに誘われた子供」でそれを十分に堪能することが出来ました。素晴らしい。あ、これも発見だったけど、天野氏を今回じっくりと見ても、わたしが体内に保持している「情けない男探知機」の針はちょっとしか震えなかったよ!(唯一の例外は「ぼくはまだ三次元が好きです。ホビージャパンも毎月買ってます」発言をしたときだ。天野氏、それなんのフォローにもなってない)天野氏は情けなくないんだなあ…。それが頼もしいような、自分のなかでプチがっかりのような(笑)←失礼です。
 そういう意味で、グルグル映畫館のメンバーにはとくにお気に入りと入れ込むひとはいないんですが、アニキの笑顔と黒さには相変わらずときめきました。アニキ可愛いアニキ可愛い。おなか真っ黒だよアニキ。
 お気に入りの最新作「良いコトが 在ると思うな 思えばまけよ-君と僕との彼岸の唄より抜粋ー」の曲はちゃんと演奏してくれたこともあり(たぶん)、好きだった曲はほぼ聴くことが出来て、とても楽しいワンマンでした。なによりも、バンドってワンマン見ないと分からないこともあるんだよな、という当たり前のことをまた体感できて、それが面白かったです。funnyじゃなくて、interestingという意味で。今後も、グルグル映畫館を見ていきたいなと思います。天野氏という個性に、それを感じました。
 ライブが終わったのは9時半過ぎ。わたしの新幹線リミットは11時。といっても心斎橋の駅に10時20分には向かわないと間に合いません。あー呑めるかなあ、良いライブのあとだから呑みたいなあと、うじうじ揺れ始めた気持ちを、真夜さんがさらに揺らします。なんだっけキミ、真昼さんだっけ。ご一緒した可愛いゲチストのお嬢さんまでも誘惑します。なんだっけキミ、鳩彦だっけ(違)。
 結局なんとか10時過ぎに居酒屋にすべりこみました。が、一杯注文して一口呑んだ後、「いまこのジョッキを飲み干したら新幹線に間に合う」とつぶやいたのがいけなかった。とたん、横にいた真夜さんにきゅっと腕をつかまれたのがむしょうに可愛かったので、追加のジョッキを頼んでしまったわたしの負けでした(笑)。その勢いで、久しぶりにオール決定。いや、楽しかったので良いのです。某くるっぽー嬢を見てると、とくに面白かった。今度はもう少しペースを落として、でも同じくらいに楽しく酔おうね、蜥蜴彦(笑)。

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