「日本怪奇小説傑作集(全三巻)」紀田順一郎・東雅夫編(創元推理文庫)

 さて、これから天崎一桂withGPRAライブとクリスマスディナー(笑)、東京国際フォーラムでの聖飢魔II 「地球デビュー20周年記念 THE LIMITED BLACK MASS TOUR D.C.7 恐怖 の復活祭 FINAL」と怒涛の二日間が始まります。気合を入れて参るまえに、久々に本の感想など。そう、調子がだいぶ戻ってきた証拠に、本が読めるようになりました。長編はまだ手にとる気にはなりませんでしたが、エッセイやノンフィクション、短編集ならいけそうです。
 というわけで「日本怪奇小説傑作集」を全三巻通読しました。リハビリがコレか自分。発表時代順に傑作がまとめられています。しかしどの巻も、並んでいる著者の名前を見るだけで胸がときめきます。有名作もあれば名前しか知らなかったものもあり、通読しているあいだ、幸せでした。わたしは奇妙な話やこういうフィクションの怖い話が大好きなのです。
 「日本怪奇小説傑作集1」


 
 まずは明治から、というわけで小泉八雲の「茶碗の中」から始まります。とにかく美文というのはこういうものであり、難解でありながらもリーダビリティに満ちている泉鏡花の「海異記」、舞台は明治ながらも十分に現代的なテーマを含んでなおかつ不気味な森鴎外の「」、優しくも哀しくじんわりと怖い室生犀星の「後の日の童子」、なんか古臭い話だなあでも時代が時代だから当たり前かとのんびり読んでいたところ、最後の一文で悲鳴を上げた大佛次郎の「銀簪」などがとくに印象に残りました。
 「日本怪奇小説傑作集2」


 この巻では、たおやかな調子で綴られる文章と最後の衝撃が静かに響くような横溝正史の「かいやぐら物語」淡々とした筆致で、明かされることのない怖さが最後の最後で終わりの無い無間地獄に突き落とされることが判る三島由紀夫(さすが!)の「復讐」、女は怖いとはこういうことをいうのです、という話を品良くあっさりと描写しているからこそ、男の非常さが際立ち、あの結末へとつながる流れの自然さになるのだなあ、と感心した円地文子の「黒髪変化」、神かくしをテーマにして、せつないながらも静かな怖さもともなった傑作、山本周五郎の「その木戸を通って」(このタイトルの絶妙なこと!)、既読でしたが昔からこれに萌えていました。自分が間違ってることは百も承知です。生理的にうけつけないひとには絶対に駄目な遠藤周作の「蜘蛛」などが、個人的におすすめ。
 「日本怪奇小説傑作集3」


 収録作も、昭和から平成へ。今ではむしろこのような「お守り」さえ必要と感じない人間が多数派ではなかろうかと思い、その印象の不気味さにぞっとした山川方夫の「お守り」、云うまでもない名作小松左京の「くだんのはは」(余談ですが、これを石森章太郎がマンガ化したのを以前読んだんですが、原作の雰囲気をよく生かしたものであったにも関わらず、最後の最後で、よりにもよってあの正体をそのまま絵にしていたのでひっくり返ってしまったのを覚えています。うん、原作にもそう書いてある、間違ってはない。でもあれはあんまりだ…)、怖い、というか血みどろではまったくない心理的な恐怖、そこにいたったときの心象を思い描いたとき、絶対に自分はそんなことはできないと思ってしまう怖さがある、半村良の「箪笥」、不思議と論理的な文体が奇妙なリーダビリティをかもしだしてそのまま有り得ない話を飲み込まされてしまったおかしさがある、吉田健一の「幽霊」などが、良かったです。ここらへんになると既読も多いしね。
 しかしこの三冊が良かったので、この調子でしばらく怪奇・奇妙系アンソロジーを読んで行こうと思います。

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