「増殖商店街」笙野頼子(講談社)



 勢いづいて笙野頼子を続けて読みました。もっともこちらはデビュー初期の短編集であり、「金毘羅」のような圧倒感は少ないかもしれません。
 冒頭の「増殖商店街」は夢と現(うつつ)の境目が現れては溶け、溶解しては覚醒し、というリズムがたまらなく快感です。夢を実際に文学にするということがどれだけ困難か、それをいとも軽く作者は描写し、良い夢とも悪夢ともつかぬ、つまりはわたしたちが毎晩、あるいは日々のうたたねの際に感じる夢の現実感のなさを、たゆたわせてくれるのです。
 残りの作では、愛猫を捜し求める作者の行動があまりに痛々しくて直視するのが辛かった「こんな仕事はこれで最後にする」と、本当の意味で精神を病んだ青年の生活が淡々と描かれて読んでるこちらが悪夢を見てるような「柘榴の底」が印象に残りました。

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