「世界は密室でできている。―THE WORLD IS MADE OUT OF CLOSED ROOMS」舞城王太郎(講談社文庫)


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{:rn:}{:rn:} 舞城は新本格なのか(たぶん微妙に違う)。近年話題の作家のなかではとくにお気に入りです。「煙か土か食い物」や「阿修羅ガール」もそうでしたが、桁違いの文章のエネルギーとドライブ感で圧倒させておきながら、不遜極まりない死体の山と破天荒なミステリ仕掛けで幻惑し、ピュアな感性で気持ちをさらうこの感覚は、このひとならでは。
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{:rn:} そもそもわたしはミステリの良い読者ではありません。実は、肝心のトリックが理解できないことが多いのです。良さとかそんなんじゃなくて、仕掛けが説明されてもいまいち理解に届かない。時々ある(この本でもありました)図解入りの解説とかまであるトリックになるとお手上げ。そもそも図形の展開図とかがどうしても理解できない人間なのです(頭の構造に問題があると思われます…)。そんなわたしでも「なるほど!」と理解できたから、島田荘司の「占星術殺人事件」にはハマれたのですが、あれも「斜め屋敷の殺人」とかさっぱりだったしなあ…。
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{:rn:} なので、わたしはこの作品のトリックがどう優れているとかどう間違っているかについては言及する資格はありません。無茶苦茶なのは分かるけど(笑)。とりわけ、トリックというかギミックというか、な遺体が家中移動させれていた理由はすごかった。ミステリとしてどう、というのも分からない。あそこまで文字通り積み上げられた死体の山についても、それが必要だったのかどうかは分からない。でも。でも、わたしはこの作品がとても好きです。派手でトンデモで残酷に見える世界のなか、登場人物の視点の確かさとそこから溢れる純粋さに、ラスト数ページは泣きっぱなしでした。テンポ良い会話の連続に笑いながらも、それで積み上げられた語り手である「僕」とルンババの友情の清廉さに、ルンババの姉への想いの切実さに。やだなあもう。ズルイよ、これ泣くよ。
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{:rn:} 他の作品でもそうなんだけど、舞城は一見乱暴な作品づくりをしているかのように見えて、とても文章が巧いと思います。個性が強いから、いっけん悪文に見えやすいけれど、そんなことはない。とくに会話の巧さったらありません。ちゃんと小説の言葉でありつつも、男子中学生の言葉に、女子高校生の言葉(「阿修羅ガール」)に、なってる。現代の話し言葉と書き言葉の乖離というものを意識できていない語り手だとこういうことはできません。中途半端な流行言葉を使わせたりして、かえって不自然になったりする。問題はそういう表層的なところになく、人物像をどれだけ確かに捉えられているかどうか。当然、それ次第で、言葉が違ってきます。そして、その人物像が確かなものだからこそ、そのキャラクターが叫ぶ言葉に、意味がもたらされるのです。キャラクターが、生きた人間となる。わたしは、そこらへんが頑固な人間なもので、そういうのを小説と呼ぶのだと思っています。そして、舞城王太郎は、良い小説家です。その作品を、これからもゆっくりと読んでいきたいです。

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