「マッド高梨の美容整形講座」高梨真教&中村うさぎ(マガジンハウス)



 「中村うさぎさんがフェイスリフト手術を受けて、さらにきれいになりました」という帯の文句につられて、手を出してみたのですが、裏表紙の写真には確かにびっくり。これ、48歳の写真じゃないよ。整形かどうか分かるかと云われたら見抜けるかどうかは自信ない…。だってこういう顔、TVや雑誌に溢れてる気がするもの(このひとにとっての整形はすでに見抜くとかそういうレベルではないことは百も承知です)。さらに、カバー裏には彼女のフェイスリフト手術の連続カラー写真も掲載されてますが、わたしは怖くてまともに見ていません。
 対談内容は、主治医とともに、実践的な手術についてのあれこれを語るだけでなく、美容外科治療を決意する女性の心理についても少し洞察されています。が、本当にそれオンリーの内容なので、美容外科治療にあまり興味がないひとには辛いかも。わたしは、まずその費用的に最初から門前払いされてる感じだし、顔をそこまでいじりたいと思ったことはあまりないので(いまやるなら脂肪吸引だよ…←笑えない)、実際の手術のあれこれよりも、なぜ中村うさぎがそこまで美容外科にこだわるのかに興味があったのですが、この本だけでは、そこはいまいちよく分かりませんでした。以前、デリヘル嬢体験をしたときは「女としての価値を確かめるため」だったけれど、いまは「女としての価値を上げるため」に整形をしてるんだろうか。そこはやはり彼女自身の本を読んでいくしかないんだろうな。
 ただ、わたしは買い物依存、ホスト遊び、美容整形と、なんというか、そこだけ取ったら愚かしく見えるかもしれない彼女のやり方が嫌いでないのです。それはそこにいつもある「わたし(中村うさぎ)がやっていることだ。愚かなわたしのやることはわたしが責任もつ」という自意識のせいです。単なる自己顕示欲かナルシズムとかいわれるかもしれないけれど…。
 ちょっと話がずれますが、わたしがずっと考えている中島梓と中村うさぎの差はそこにあるのかなーとも思うわけです。この二人を比べて考えるのもおかしな話かもしれないけれど、どちらも強烈な自意識を持ち、女子が抱える問題については(ジャンル違いでも)一家言を持つひとたちです。が、中島梓は「少女たちは傷ついている」と云う。中村うさぎは「わたしは傷ついている」と云う。その差が大きかったのかな。中島梓がすでに少女でないならそれでいいけれど、あのひとは未だにまぎれも無い少女であり、それを自分で見ないようにしてしまったとしかわたしには思えない。中村うさぎは、「少女」というより前に「わたし」であり、その傷をなんとかしようと体当たりで様々なことにぶつかっている。評論家と作家の違い、生きかたの種類の違いだけなのかもしれないけれど、わたしは、中村うさぎのほうが好きです。どんなに病んだなかにあっても、その自意識は健全なものであると思うから。

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