「炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス」パトリシア・ボズワース(文藝春秋)


 服装倒錯者、ヌーディスト、フリークスらを被写体にした写真で有名なアメリカの写真家、ダイアン・アーバスの伝記です。
 わたしは、写真というジャンルには詳しくないのですが、アーバスに関してはかの有名な双子の写真を見たときから関心があった。その異様な雰囲気と浮かび上がるものに惹かれました。この伝記では、彼女の生まれる以前、両親の出会いから、彼女自身の恋や結婚、仕事とそれがもたらした悪名と名声、最終的に彼女が自殺にいたるまでが語られています。アーバスの権利を保有している実娘からの取材許可が出なかったということで、肝心のアーバスの作品はいっさい掲載されていないのがなんともはがゆいかぎり。しかし、実兄や周囲の人々の証言などによって構成されたこの内容を読めば、アーバスというひとの人となりとその人生はだいたいつかめると思います。
 読後、わたしが一番感じたのは、アーバスの人生と彼女の作品の分離です。アーバスは、普通のひとであれば目を向けないような対象を選んで写真にした。それは純粋に彼女の興味が赴くままの行動の結果だったわけだけど、アーバスは作品としての写真が与える衝撃と、被写体そのものが見る人に与える影響を混同されて,攻撃された。しかし、単に双子を撮っただけの(そこにはあえての意図はなかったと思う)写真であっても、そこにはなんともいえない気味悪さと同居する美が存在している。被写体のもつちからと写真家の才能とがからみあって生まれるある種の奇跡がここにはあります。
 この伝記を読む限り、アーバスは、決して、持って生まれた才能を生かして主体的に望むままに生きたひとではなく、むしろ女性として求められる生きかたに十分引っ張られていて、それが出来ずに苦しみ、自分自身が抱えている病理と時代にただ翻弄され、最終的にはその病に殺されてしまったように見えます。だから、わたしはアーバスの娘のいう「作品がすべて」というのが一番正しいと思うのですね。いま残っているものが、彼女の望んだものであるかどうかは分からない。彼女が生きていた60年代にはスキャンダラスなものであった被写体でも、いまの時代では受け入れられるものになっている部分もあるはずです。しかし、アーバスの写真が見る側に与える印象は、芯の意味では変わらないのではないでしょうか。

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