「ちーちゃんは悠久の向こう」日日日(新風舎文庫)



 あきら、と読みます。この独特のPNと、タイトルに惹かれて手に取ったものの、ラノベだとばかり思っていて、読めるかどうかわからずに積ん読の山のなかに埋もれてました。なんてことを。読み始めて、びっくりした。
 恐いものや幽霊といったものが大好きな幼馴染の「ちーちゃん」に振り回されながらも、「僕」はこの安らかな日常がただ続いていくことだけを信じて願っていた。あの瞬間までは…というストーリー。一切ネタバレしたくない。わたしが読んだときと同じように、真っ白な状態で読んでほしい。マンガっぽいキャラクター、そりゃないだろな偶然の展開、確かにラノベっぽい文章など、気になったところはそりゃあります。ありますが、読み終わったあとになってはそんなの全然気になりませんよ。むしろ、読み手のそんな穿った読みかたもまた作者の計算のうちなのかもしれないなあ…とさえ思う。例えば、ややネタバレ→わたしが一番最初にひっかかったのは苔地蔵のところで出てくる神様の名前が、あまりにも適当なうさんくさい少女趣味な名前だったことだったのですが、いま思えばそのチープなうさんくささこそがまた、最後の最後で「僕」が「ちーちゃん」にしてしまった仕打ちの裏づけになるような気がしてしまったり
 しかし、残酷な話です。あんまりな物語です。どんどん拡がっていく話を読むうちに「うわあ読むんじゃなかった。わたしが生理的に受けつけない欝話だ」と悲鳴をあげそうになったのですが、それらの要素すべてが一気に結実するあのラスト、あの恐ろしく美しく哀しいやりきれない色に満ちたラストに至ることで、この物語は、凡百の欝話とは一線を画すことになったのです。ラスト、本当に驚きのあまり、口を空けて読んだ。間抜けだ。そして、さらに、そこで初めて、ややネタバレ→物語の主人公が「僕」から「ちーちゃん」にぐるりと転回する。その認識をもって、彼女の視点で、この物語を最初から振り返ってみれば、世界はすさまじく様相を変える。なんと苦しく、せつない話だったことか。そもそもわたしは、この手の、現実と非現実がすり合って融解していく(その認識が登場人物にある)話が好きでなりません…。その世界観のなかに、人間同士の断絶と孤独があるのなら、なおさら。
 それにしても、作者は18歳ですって。他の作品も読んでから判断すべきことだと思いますが、間違いなく、書くために生まれてきたひとの文章でしょう。どんなに勉強しても身につかない天性のセンスがある。無駄に偉そうな久美沙織の解説にもありましたが、年齢が年齢だけにこういうかたちをとっているものの、文学畑のひとであると思う。十分にエンタメだし、気軽に手に取ることは出来ますが、内包しているテーマは、間違いなく純文学。それが偉いとかそういう意味ではありませんよ。面白いひとを見つけたと思ってわくわくしているだけなのです。
 というわけで早速「ピーターパン・エンドロール」と「うそつき?嘘をつくたびに眺めたくなる月?」を購入してきました。当たりでありますように。

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