「アトランティスのこころ(上・下)」スティーヴン・キング(新潮文庫)



 1960年の夏、アメリカの町で、早くに父を亡くし、忙しすぎる母親と暮らす11歳の少年ボビーの前に、ひとりの老人が現れる。かれがもたらした不思議は、ボビーの初めてのガールフレンドであるキャロル、親友のサリー・ジョンの運命もゆっくりと変えてゆく…という内容の作品です。
 さすがキングのリーダビリティ能力の高さはピカ一でした。購入したものの、タイトルの雰囲気といかにも感動の名作です!みたいな売りのキャッチコピーに、しばらく読まずにいたわたしが、なにげなく読み始めたら、そのまま一晩で読みきった。そしてラストでキングのリーダビリティ能力を呪う気になった。いやその。
 ものすごく面白いんです。上巻は。ボビーと母親の生活がおぞましい不幸に侵食されていく過程、それよりも呪われた運命を抱えながらも、ボビーを慈しんでかれに文学を教え、支えてくれる友人となったテッドとの交流、テッドが恐れる黄色いコートを着た謎の男達の正体、などなどが絶妙に絡み合い進んでいく展開は、まさに息つくヒマも与えません。
 しかしそれが示唆されるネタバレ→「ガンスリンガー」(キングのライフワークとされる別シリーズ「ダークタワー」で使用される語句)という名称←ネタバレが出てきたところで、ちょっとあれ?と思ったかな。わたしは「ダークタワー」は未読ですが、結局はそこにたどりついていくというあたりで、なんだか物語の規模が小さくなったような感じがしてしまって。しかしそれでも、上巻の最後、ボビーがテッドからの贈物を受け取る件は、しみじみとしたものを感じます。ひと夏のうちに友人を得て、そして失ったことが少年にもたらしたものが、こういうかたちに結実するのがとても美しいと思えた。うわあ、ボビーはこれからどうなるんだとときめいたですよ。
 で、下巻がね。わたし、表紙を確かめましたとも。これ、本当に上巻の続きなのかって。眼を白黒させながら、それでも読み進め、残り少なくなっていく一方のページ数に、色んな意味でどきどきしながら、それでも読まずにはいられずに、とうとう最後に至ったところで、首をかしげた。いくら、独立した中篇や短編で構成された長編だとしても、そのバランスが悪いです。この作品を上巻だけ読んで、下巻もボビーの物語を期待しない読者はいないんじゃなかろうか。それがいきなり、ネタバレ→60年代の大学の学生運動の話になったり、ヴェトナムで完全にイかれてしまった兵隊たちの物語になってしまうのは、登場人物がリンクしあったものであっても、やはり納得がいかない。しかし、この物語の主人公である(と普通思う)ボビー自身の人生の遍歴は、ほとんど語られないで終わってしまうのはせつないですよ。。←ネタバレ。
 ボビーにとってテッドは、まぎれもない魔法であり、テッドが姿を消したあとでもそのきらめきが、ボビーの人生にちらちらと舞ってみせたとしても、やはりかれらが同じ位置にたつことはもうない。過ぎ去ってしまったひと夏は二度とないからこその奇跡だった、ということかもしれない。そういう話も嫌いではない。しかしそれならこの長さはどうだ。上巻+αでも良かったんじゃないか。ボビーを主役としないパーツの話、より普通小説の色合いが濃いあたりも、十分に面白いからまた始末に負えない。それはそれで面白いんだけど…と色々考えてたのですが、しかし、ふと思いあたりました。
 上巻のラスト、あそこでもしボビーがネタバレ→テッドとともに行くことを←ネタバレ選んでいたのならば、きっと世界は一気に(まさにわたしが望んでいた通りに?)様相を変え、魔法そのものへと変化していったのでしょう。しかし、ボビーはそれを選ばなかった。選べないまま、魔法ではない現実の世界で着実に年齢を重ねていくことにした。ならば。この物語がああいう結末を迎えたことも正しいのかもしれません。しかし、それがわたしの読みたかったものなのかどうかは分からない。
 とにかく一度読み始めたら、途中で止めるのが難しい作品であることは確かです。上・下巻の切り替えに気をつけていただければ、思いのほか楽しめる作品になるのではないでしょうか。わたしとしては、そこらへんの判断はまだ保留という感じです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする