筋肉少女帯「ザ!仲直りサーカス団再びパノラマ島へ帰る」(大阪BIGCAT)

さて、約一週間ぶりに大阪に来ました。今日はBIGCATにて、筋肉少女帯「ザ!仲直りサーカス団再びパノラマ島へ帰る」に参加するのです。
 ここでわたしと筋少ちゃんについて少し。コアなファンとはいえませんが、リアルタイムでは「猫のテブクロ」から、アルバムはすべて聴いています。初期と後期が偏って好きではありますが、初期作品は、特撮でエディのピアノに開眼してから聴き直した感じ。やっぱり橘高ちゃんのギターとオーケンの歌詞が好きなので、ベストアルバムは「断罪!断罪!また断罪」です。
 ライブは、「ステーシーの美術」ツアーで初体験しましたが、そのときはなんだかピンと来なかった。しかし、今回の再結成の評判はなかなかのものだったので、チケットを購入しました。筋少のライブといえば、これまでにわたしが聞いたことのある友人知人のライブでの武勇伝中ナンバーワンの「筋少のライブで肋骨を折った」ひとの話を思い出します。さて、今日はどんな感じかな。
  
 ソールドアウトの会場は、やっぱりみっちりと詰まっていました。BIGCATでこれなら名古屋が CLUB QUATTROってどう考えても無茶だよなあ。エディ目当てで下手の柵近くに陣取ったものの、舞台を見渡すのは難しい感じでした。近くのお客さんのわくわくした感じが伝わってくるおしゃべりが、なんか懐かしかった。わたしも聖飢魔llの復活のときはきっとこんなんだっただろう。
 開演時間を10分ほど押して始まったステージ。一曲目が「トゥルー・ロマンス」だったのは意外でした。もっと有名曲でがっつーんと来ると思ったので。しかし歌詞を思い出して納得しました。これは死んだ恋人に逢いにゾンビが戻ってくる唄でした。戻ってくる。そう戻ってきたんだよね。まあそういう意味だからといって「再殺部隊」で始めるわけにはいかんわな(笑)。
 しかし、エディ目当てで下手にいたものの、わたしが真っ先にやられたのは、銀髪のモヒカンも凛々しいオーケンでも、90年代と変わらぬ橘高ちゃんでも、さらさらストレートヘアになったうっちーでもなく、にこにこ笑顔の本城さんでした。いやもう本当、おいちゃん、なんでそんなに嬉しそうなんだ。幸せそうなんだ。とてもよい笑顔に、こちらまで嬉しくなりました。そうだよね、おいちゃんはうっちーと一緒に、オーケンが抜けたあとも筋少を守ったひとだもんね。この笑顔は、本当に良かったです。バンドを愛してる笑顔だった。
 続いての「くるくる少女」も良かったですが、「カネーション・リインカネーション」のエディのピアノの美しかったことといったら!オーケンの語りをカットして、ひたすらピアノが鳴り響くあの空間の素晴らしさ。これですよ、これ。
 その後の選曲はまず文句のつけようがないものでした。そりゃ、キャリアのあるバンドなので、あれもこれもといえばキリがないのですが(個人的には「孤島の鬼」「221B戦記」あたりも聴きたかった)「暴いておやりよドルバッキー」「踊るダメ人間」「戦え!何を!?人生を!」「バトル野郎?100万人の兄貴?」「小さな恋のメロディ」といった中・後期代表作だけでなく「詩人オウムの世界」「僕の宗教へようこそ」も忘れず、しかも「日本印度化計画」「これでいいのだ」「元祖高木ブー伝説」といった代表曲もやってくれるバランスの良さ。楽しかったですよ。
 しかし、「生きてあげようかな」と「香菜、頭をよくしてあげよう」あたりは、お客さんのにこにこぶりのほうに目がいってしまった。そうか、ここらへんにうっとりしないから、わたしは筋少のコアなファンじゃないんだよな。これはあくまで個人的な感覚なので、良い悪いではないのです。こういうのが好きなひとがいるのは分かる。ただわたしは違うというだけ。
 オーケンのMCもさすがに達者で、とても楽しめました。所属のTOYSFACTORYのビルがすごい、という話から「社員さんの机の一つくらいは筋少の稼ぎで買ってる。三つくらいはジュンスカ。まあ残りはみんなミスチルなんだけど」とか(笑)。しかしもう40を越えたとかいいつつ「新人バンドとしてみてくれ」というのなら新曲をぜひ!(笑)
 しかしずっとそうやってMCにも笑いつつ、曲にはにこにこノリノリで、という感じでずっと余裕をもって楽しんできたのですが、本篇最後が「サボテンとバントライン」だったのですよ。なんかもう。それまででもうずいぶんと温まってはいたんだけど、オーケンがその曲名を云った瞬間に悲鳴が出た。ずるずるっと高校生時代の思い出が引き出された。なんだこれ、もう、なんだこれ。もうずっと聴いてなかったけれど、その昔にわたしはこの曲が大好きだった。そのころのことがまさに走馬灯状態でこみあげてきて、混乱したまま、他のお客さんと一緒に唄って、拳をあげて、飛び跳ねた。17歳のわたしおひさしぶり。何年もたったけれど、結局わたしこんなんだよ。なにも変わってない。あの頃と変わったことといえば、経験値くらいなんだ。そう思って、たまらなかった。聖llのときは、6年ぶりでもずっと音源を聴いてたから、こういう感じにはならなかった。これ、90年の曲なんだもんなあ…。
 同じ現象はアンコールでの「蜘蛛の糸」でも起きました。今度は大学時代(笑)。しかしこの曲のエディのピアノは本当に素晴らしかった…。橘高ちゃんとのバトル、目が離せなかった。
 
 最近、こういう風に90年代に活躍したバンドの再結成が話題になることが多いですが(個人的には、絶対にチケット取れないしまずありえないと思うが、ユニコーンが再結成したら死ぬ。微妙にありえないかと期待してしまうのはマスケラ/笑)、普通だったら、嬉しいのは勿論ながらでも解散したのにちょっぴり複雑とかの感情があってしかるべしかもしれないのに、わりと手離しでにこにこしてしまうのは、年寄りの余裕でしょうか。聖llでさえ、大喜びしちゃったもんな。
 しかしそれで思うのは、無くしたものが帰ってくることって大きいということ。幼い頃はなにかが無くなるということ自体が思いも寄らないことだったけど、経験を重ねると、むしろ無くならないもののほうが少ないことを知ります。いろんなことが終わってしまう。無くなってしまう。そのせつなさを幾度も体験したあとでは、無くしたものが帰ってくるということが、どれだけ嬉しいことになるのか、分かるひとには分かってもらえると思う。大型のバンドがいくつか続けて再結成したことで、見落としがちですが、当たり前のことながら消えたままのバンドのほうがずっと多い。だから、戻ってくることの奇跡を素直に喜んでもいいんじゃないかなあ。そして奇跡ならば、それが楽しく続いている時間を十分に存分に楽しめばいいと思うのです。それが受け手であるわたしに出来ること。送り手の差し出すものをしっかりと見つめて受け取ること。いつでも誠実にそうあろうということは、ときに難しいことであることも事実ですけど。
 筋少はまだ活動を続けていくようです。特撮も大好きなので、ちょっと複雑ではありますが、しかし、いまの筋少はカッコいいのでOKです。また機会があったら見てみたいな。そして、過去の筋少が好きだったけど、いま復活されてもなあ…というかたがまだもしいらしたら、ぜひ見てみることをおすすめします。なにもかもが昔どおりではないでしょうけど、それでも、過去を知ってるからこその再体験というのには、単なるノスタルジーに終わらないなにかがあると思うのです。よかったですよ。

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