わたしはここで生まれたのだから。

 ようやく月末処理の波を見送ることが出来たので、図書館に行きました。はい、岡山県立図書館に、最近は、二週間に1回のペースで通っては限界10冊まで抱えて帰ります。はい、ものすごく重いです。
 学生時代はいざしらず、社会人になってからは、本は買うものという意識しかなかった。しかし。何ヶ月か前に、住民税が3倍近く上がったのですね。パートから正社員になっての年収変化が災いしたらしい。給料は3倍あがってないのに。さすがに顔から血の気が引いてから、なにか元を取ることはないかとあれこれ考えた結果が、図書館の有効利用だったのです。
 わたしは、この日本という国で自分自身を賄い暮らしていけるというだけで、けっこう幸福だと思っているので、お上が持っていく税に関してことさらあれこれ云う気はないのですが(厚生年金は憎い…←云うとるがな)、いきなり金額が上がると腹が立つね。さすが企業なら20年前に倒産していると評判が高い岡山市だけあります。
 しかしまあ、県立図書館に足を踏み入れたときのあの圧倒感はすでに麻薬なので、住民税の元はなんとか取っているのかもしれません。興味はあるけれど高価すぎて購入できなかった専門書や海外文学のハードカバーの背を眺めていくうちに、全身の毛穴が開いて、眼が広がった。瞳孔も開いてたかもしれない。大きな本屋に行ったときもたまにこうなるのですが、ここの本を全部読みたいけれど読めないなんて理不尽だと身体が悲鳴を上げる感じ。いや、一冊一冊なら読めるんだけど、一気に全部は無理じゃないですか、ブラウザを複数開いてウィンドウを並べて内容を一瞥しながらすべてを取り込みたいあの感じ。本って素晴らしいな。わたしはもちろんネット媒体を愛しているけれど、手に持って読む書物という存在はやはり格別だと思う。
 思えば、小学生のときに図書室を利用していい学年になったときも、同じくらい嬉しくて、なのにすべてを読むことが物理的にできない自分が悔しくて仕方なかった。単なる娯楽でも興味本位でも、これがわたしに必要なものだということは、子どものころから変わらない。ただ、子どものころと違うのは、小説や物語以外のものに手が伸びがちなところ。これはスティーブン・キングも云っていた「想像力という筋肉の老化」に他ならないと思うので、意識的に小説読みの筋肉も鍛えていきたいと思います。
 あと、図書館の本というのは、自分で購入した本と違って、「積ん読」が許されないのもスリリングですね。なかには読み古された感じのものもあるけれど、それはそれだけその本が読まれた証拠だと思うので、むしろ愛おしい。ただし、公共の物だけに、破損には気を遣わなくてはいけませんね。本当に、プレイボーイ誕生50年記念写真集の、パメラ・リー・アンダーソンとジェニー・マッカーシーのグラビアを破ったひとは呪われてしまえばいいのです(けっこう本気)。
 そうやってたくさんの本と触れ合って、本当に自分が手元に置きたいものをきちんと購入する。それを繰り返すと自分の本棚になっていく。なんだかそういうのが嬉しいです。
 

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