「女に生まれてみたものの。」菅野彰(ウィングス文庫)



お気に入りの同人作家さんのフリートークのページを読んでいるような気安さと「分かる分かる」という感じ、それが快くて、愛読してきた作家さんのエッセイ集の最新刊です。いわゆるWINGS系の小説作品のほうは未読のままなのですが、作品はおそらくボリュームゾーンに入らずとも、感性が同じ同世代であるならば、気の合う友達のブログを読むように楽しめる、そんな書き手さんもいるのです。あとは、あとがきだけでも楽しめる、水戸泉先生にも、ぜひエッセイ集の発刊をお願いしたいところです。
 しかしこの本。これまでにも似たような体験レポの本はあったのですが、今回は、本来の目的である「大人の女になる企画」は、これっぽちも果たされず(それも恐らくは企画段階の問題で)、レポ自体がまったく成り立っていない回もあったりするのです。そういうもののなかには失敗自体がネタになる場合もあるけれど、それすら曖昧な回もあったりで。
 が、わたしのなかで、菅野さんの(姪御さんたちの呼び方を借りて「のんちゃん」と呼びたいくらいだ)本領ではないかな、と思ったりする、どんな場面でも、めんどくさくっても大儀でも、やる気ないように見えても、いつのまにか真面目に取り組んで本気で呆れたり感動したり考え込んでしまうところが、ところどころに噴出していて、それが良かった。面白い、とは違う、ああこのひとは本当にこういうひとなんだ、と人格を信頼してしまうようなところです。良いエッセイにはこれがないと。
 それは例えば、会津出身の自分が、よりによって担当編集者が長州出身であることを知り、未だに確執が続く両者の故郷を互いに訪れるエピソードでの、あまりに真面目な、けれども誠実である述懐や、女が不自由であった時代を生きた祖母を思いつぶやく言葉などに現れています。
 このひとは迷う。結論は出さない。でも、それが、正しいのではないかと思うのです。
 立派な大人や社会人などにはなりきれず、けれど無分別に遊び惚けるわけでもなく。酒と美味しいものは好きだけど、あとはなにか情熱を持つでもなくなんとなく生きているように見えたとしても、自分の目に映るものには、そのたびに不器用かつ誠実に向き合う、この声に共感できるひとは、オタク女子にはとても多いのではないかと思います。

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