「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ(ハヤカワepi文庫)



 この本の存在を初めて知ったのは、たしか村上春樹とファンのネットでのやりとりを記録したシリーズの一冊だったと思います。それまで、カズオ・イシグロといえば、映画にもなった「日の名残り」が英国最大の文学賞であるブッカ―賞を受賞していることなどの一般的な予備知識しかなくて、なんとなく、とても高級かつ不可解な世界観と文章(辛口な書評家が絶賛しそうなタイプの本ってことです)ではないのかな、と思っていました。
 ただ、この作品に関しては、なによりも、タイトルに惹かれたことと(原題は「Never Let Me Go」)、ある書評で紹介されていたストーリーが面白そうだったことから、読んでみることにしました。幸い、ぱらぱらとページをめくっただけで、その本が読みやすそうかどうかというのは見当がつくものですが、その感じでもいけそうな気がしたので。本来は、まったくネタバレすべき内容ではありません。ですが、わたしもぎりぎりのラインでのネタばれを読んだことが、この本を読むきっかけになりました。また、この基本設定のネタばれは、たとえバレていたとしても、作品世界を楽しむ妨げにはならないと思います。ですので、ぎりぎりのところでストーリーをご説明します。
 語り手は、キャシー・Hと名乗る31歳の女性。介護人という職のエキスパートである彼女は、提供者と呼ばれる人々のケアをして11年以上になります。かつて同じ施設で育った友人たちとも、年月を経て介護人と提供者として再会し、かれらを世話してきました。彼女が、友人たちとの触れ合いや、何気ないきっかけから回想していく、子ども時代を過ごした施設でのさまざまな出来事や思い出が具体的なエピソードにつながり、やがてくっきりと、この世界の恐ろしい様相を浮かび上がらせていくこととなります。
 キャシーが一人称の敬称で語り始めた冒頭から、ぐっと引き込まれました。身構えてて本当にごめんなさい。とても読みやすいです。柔らかな語り口でかたどられるキャラクターの性格や、かれらの持つ特性、あらかじめたどることを決められている運命の正体が、語り手の伏線によりじわじわとくっきりしたかたちを持ち始める展開は、素晴らしいリーダビリティを持っていて、ただもうすらすらと読み込んでいくしかありませんでした。
 非常に慎重に編みこまれた伏線の意味に気づくとき、何度でも最初から読み返したくなりました。エンタテイメント的に派手にしようと思えば、いくらでもそうなる設定と世界を、そうはさせずに物静かに語り、しかしそのなかでも、ただ運命を受容していくだけでは終わらない人物のあがきが、とても哀しく、同時にちから強い。
 かれらはなぜ疑わないのか?読みながら何回も思いました。かれらはなぜその運命自体を拒否しないのか、と。しかし、たとえこれとまったく同じことは現実にないとしても、ヒーローでもヒロインでもない普通の人間というものは、こうやって、自らに課せられたものを受け取って生きていくのかもしれないとも思いました。けれどもそのなかで。せめてもの可能性を見つけようとして切実に懸命に生きていくのも、また普通の人間なのかもしれないとも。ひとの幸せと生きる意味を思ったとき、かれらの生まれ持った運命を真っ向から否定する勇気のある人間はいるでしょうか。けれど、そこで思わず考えずにはいられない、わたしがかれらだったら。あるいは、わたしがかれらを必要とする人間だったら。
 タイトルの意味するものが理解できる場面の素晴らしさは、文章のなかからその場面が立ち上がっていくようでした。まず映画にはならないと思いますが(基本設定に忠実に映画化することが可能とは思えない…)、ここだけは、わたしの脳裏で映像となって浮かびました。泣くとかそういう類の感動ではない、ただもうその運命のどうしようもなさにせつなく打ちのめされるしかない世界が、そこにはありました。ネバー、レット、ミー、ゴー。わたしを離さないで。
 そうとう評判になった本ですし、読むべき人はもう読んでいるのかもしれませんが、万が一にでもわたしのように「ブンガクだから」と忌避しているひとがいましたら、文庫になっているのを機会のひとつとして、もうもうもう、ぜひ読んで!としかいいようがない。文章の美しさと読みやすさ、リーダビリティの高さはお墨付きです。読みかたによってはとても陰惨で悲しい話なのかもしれないのに、後味は悪くないはずです。泣くとかそういうのとも違う、ただ心にいつまでも残る読後感が得られると思います。

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