「猫と暮らす一人ぐらしの女」ステーシー・ホーン(晶文社)



 軽く読むことができる同世代の女性のエッセイが、けっこう好きで、いつも良いものを探しています。ただ、こどもの話と、他人の恋愛遍歴にも興味が薄いこと、この日本で女性として生きること、とか大上段に構えられるのも苦手、なによりも、日々の暮らしをていねいに、とか、器がどうとかオーガニックが癒しがとかにもピンと来ないもので、なかなかこれというものがありません。じゃあ、どんなのがいいのかと問われても難しいのですが、いまはネットで、いろんな分野の女性ブログが読めるので、わりと充足しています。
 ただ、ブログはともかく、書籍となると、日本人のものよりも外国人の書いたものがいい気がします。エッセイであっても、あまりに現実的で生々しいのは苦手なので、適度な距離感があるのがいいのかもしれません。けれど、どこか他人事なのに、ぴったりくるものが見つかることがあるのも面白い。そんな興味から、手に取ったのがこの一冊です。
 タイトルが示すとおり、猫2匹と賃貸アパートで暮らす一人暮らしの女性の日々のつぶやきを書いたもの…と思いきや。確かにそうだけど、そうでない。前提としては、確かに猫飼いで彼氏もいない42歳の女性が書いたものなんですが、彼女は40代のミドル・クライシス(いわゆる中年の危機、自分はもう若くないのにこのままでいいのか?ってやつですね)の真っ最中で、死にとりつかれているのです。
 死を恐れるあまりに、荒れた墓地と墓守の歴史を調べ、どれだけの人間が死んでいったかを確かめるために高校の卒業アルバムを開き、死体写真集を購入し、その写真からなにかを得ようとする。さらには知り合いの高齢者にインタビューをして、人生とは何ぞや?と問い、その答えに繰り返す。「そんなぁ、そんなぁ、そんなぁ」。
 しかも友人からは、長年暮らしているアパートに女性の霊がいると指摘されると、アパートの歴史をひっくり返して、その幽霊の正体を探らずにはいられない。 しかし死の問題だけに没頭するわけにもいかず、運営しているウェブサイトは技術上の問題が山積みで、これからのキャリアは不透明。最愛の友人はTVだけで、連続ドラマの公式サイトを見て自分と同世代の役者がいるかどうかを確認してしまう。忙しいなかでも、人生の中で突然起こる幸福な運命をぼんやりと夢想せずにはいられない。なによりも、愛している二匹の猫はどちらも糖尿病でインシュリン注射が欠かせない。
 これらの彼女の生活の断片が短めの断章で綴られていく形式で、それぞれ「音楽」「猫」「死」などのパートに分かれて目次も作られているので興味がある部分だけをまずは拾い読みするのも面白いかもしれません。わたしは、アパートに住む幽霊のくだりが日本人とは感覚が微妙にずれていて、不思議なリアリティがあって面白かったです。猫好きには、猫を擬人化することなく、あくまで動物として扱いつつも、深く愛していることにかわりはないその描写を読んでほしいかな。
 さまざまな危機に直面し、最終的にミドル・クライシスを抜けた彼女が得た結論は、あくまで真面目であっけないといえばあっけない、当たり前のことのような気がします。しかし、人生における真理というのはたいていそういうものでしょう。
 個人的に一番心に刺さったのは、80歳を過ぎたご婦人が「若い人に贈る言葉を」と問われた、その答えのなかにあった
ある朝目覚めてハッと気づく。そうなんだ。私はどこにも行かない。いまいるところにこれからもいるんだ。これが大人になるということ。
 というひとことでしょうか。諦め、というよりはもっとシンプルな響きのするこの言葉の意味を、わたしが本当に分かったとはいえないと思うけれども。

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