「怪談実話系 書き下ろし怪談文芸競作集」(京極夏彦他) (MF文庫ダ・ヴィンチ)



 
 いわゆる実話系の怪談集です。その道では知られた名前の作者による競作集となっています。全編が書き下ろし形式ということもあってか、目新しい作品ばかりで、その作家のファンなら購入して損は無いかも。フィクション、とあからさまに書くわけではないけれど、ノンフィクションを声高らかに謳うわけでもない、両者の合間に揺れるもやのような雰囲気を纏う話ばかりが収録されています。一時、この手の話にわりと入れ込んだことがあります。怖がりのくせに、不思議な話が大好きなのです。けれど、その熱もいったん落ち着いた感があり、しばらく疎遠になっていたのですが、このそうそうたる執筆者の名前を見て、手にとって見る気になりました。
 実話怪談なので、伝え聞いた話であったり、あいまいな記憶を基にした、正確か不正確かわからないような話を基本としながら、それらをどう構成し、語ることが出来るのかという作者の力量が問われています。競作であるがゆえに、実質上の力比べのような様相になっています。そのなかで、あくまで好みとして選んでいくなら。
 実話怪談の形式をあらかじめ客観的なものではないと言い置いてから、パーツを並べていくことによって浮かび上がるぼんやりとした恐怖の正体を、あくまでのぞかせるにとどめておいて、最後でぞっとさせる京極夏彦「成人」が、やはり出色の出来でしょう。個人的には実話怪談系でナンバーワンなのは、平山夢明なのですが、かれの「顳ク・@∥⊇个啓/b>」も、いつものちょっと不思議なテイストからにじみでる恐ろしさが連続して出ていて、さすがでした。このひとの本来の味は、都会で出会うストーカーや不気味な隣人に与えられる直接的な恐怖なのかもしれませんが、たとえば、ここに収められているなかでは、書く人が書けばほのぼのとした話にもなりそうな「新米鬼」「石垣」が、ちっともほのぼのでなく、むしろ人知を超えた存在のもつ超越的な怖さがにじみ出ていて好きです。また、出来はともかく(なんていうか、いつもの志麻子ちゃんなので)、個人的に好きなのは、自分に母を投影するかのごとく執着する男性と、「志麻子以上に志麻子になる」を目標として、筆者の男性遍歴をそのままたどっていく女性、それぞれのたどりついた道を語った、岩井志麻子「美しく爛くれた王子様と麗しく膿んだお姫様」。このひとはちょっと落ちを作りすぎなければもっと怖いのになあという気がします。
 ただ、全編に渡って、共通するのは、我々が恐怖の対象とする「あちら側の世界」の色濃い空気。この世と繋がっているのは確かながら、ついている色が違うような、世界。本来はその世界の住人となるはずが、どうにもなりきれなくて、こちらの世界で喘いでいる、そんな存在が、ふと、我々の足首をつかむような怖さがにじみ出ています。正直、一冊を読み終えたあとは、なんともいえない厭な感じがつきまとって離れなかった。これはなんだろうと考えて、思い出しました。
 そういえば、この手の本を読み漁っていたときは、ちょうど、色んな部分のバランスを失って、休職していた時期でした。本が読めるのならいい傾向ですよ、というお医者さまの言葉に従って、むさぼるように読んでいたのは、実話怪談と、猟奇殺人の実録本、幻想と現実の境が破れて中からあふれ出たものが交じり合うような、笙野頼子の一連の作品群でした。その頃はそれなりの必然があって読んでいたのだろうけど、回復とともに、笙野頼子以外は、不思議なほど興味を無くしてしまっていたのでした。あの頃のわたしは、本当に疲れ果てていたはずなのだけど、よくこのような作品たちが読めたなと思います。また、そうやってその頃の気持ちを考えても、正直言って、いちばんひどかった頃の自分のことははっきり思い出せないのです。
 その頃のわたしも、あちら側の世界とこちら側の世界をふらふら行き来していたのでしょうか。行ったきりにならなくて良かったと思うし、その合間で足を滑らせていたなら、とてつもなく中途半端な存在として、喘いでいたのではないかと思うのですが。そんなことをなんとなく思いました。優れた怪談アンソロジーとして、おすすめできる一冊です。

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