「ねにもつタイプ」岸本佐知子(筑摩書房)



 海外文学を手に取っていると、自然と翻訳家の名前も覚えていくものですが、この著者もそのひとり。ニコルソン・ベイカーの翻訳などで有名ですね。ちょっと癖のある不思議な視点の作品を訳すひと、という印象だったのですが、当のご本人の作品ときたら。いやあ、うまいわ。びっくりしました。正確には作品というよりエッセイ?しかしエッセイといえば身辺雑記。身辺か。こんな内容が。
 ちょっと他人さまからずれた視線でいると感じる居心地の悪さを、そのままつぶやくように語っています。それはけして突飛ではなく、思い返せば自分にも覚えがあるような、日常でのちょっとしたひっかかり、なはずですが、万人の共感が得られる内容かというとそれはその。こども時代から社会人にいたるまで感じてきた違和感を、忘れることなく大事に温めつづけていると、こういうかたちになるのかな。とても奇妙なユーモアです。海外文学に同じにおいのするものはあるけれど、日本人である著者の手によるせいか、ぐっとこちらに近くて、思わず吹きだしたところもいくつか。分かりやすい笑いではないかもしれませんが、ひねったユーモアを感じます。そのユーモアが、また、著者の狙いかどうかがあいまいなあたりを含めて、実に独特だと思います。
 それはこども時代の大事な毛布で出来た友人が戻ってきたりすることであったり、なにもかもを言葉通りに解釈してしまう幼さが引き起こす恐慌であったり、夢とも現ともつかぬ「ロープウェイ風呂」につかった思い出だったり、無意識に使用している慣用句をふと考え直す内容だったり、するのです。個人的にお気に入りで、なおかつ分かりやすい例を一部引用。
「赤ん坊。よく考えると不気味な言葉だ。
 もしも自分が意味を知らずに「赤ん坊」という言葉と出会ったら、どんなものを想像するだろうか。
 よくわからないが、たぶん何らかの生き物なのだろう。全身が真っ赤でてらてらしている。入道のように毛のない頭から湯気を立てている。夜行性で「シャーッ」と鳴く。凶暴な性格で、小動物や人を捕らえて生で食らう。後ろ趾で立ち上がると体長十五メートルほど、大きいもので五十メートルにもなる。
 嫌すぎる。」

 この発想のままに現れた「美人局」「刺身」「腕っ節」その他もろもろ。ぜひとも現物を読んでお確かめください。なおかつこの「赤ん坊」と「ナマケモノ」が首都の空を赤く焦がすところまで広がる、筆者のイマジネーション。これが、おかしないいかたですが、ぶっ飛んでいるのに堅実で、地味におかしい。
 クラフト・エヴィング商會によるイラストもとてもいい雰囲気なのですが、これをマンガにするなら吉野朔実がぴったりだと思います。

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