「真鶴」川上弘美(文藝春秋)



 夫はある日、失踪し、もう何年も戻ってこない。母と夫の残した娘と三人で暮らしながら、文章で生計を立てているひとりの女性。恋人といえる男もいるけれど、夫の思い出はいつも彼女のかたわらにある。そんな彼女がふと思い立ち、旅に出かけた先が、真鶴という海辺の土地だった。そして、そこにも「ついてくるもの」がいた。
 うわあ。と思いました。途中で何度もため息をついた。ささやかな生活の愛しさ、引き寄せられるような恋愛、皮膚感覚の大事さ。それらすべて、間違いなく川上弘美の作品ではありますが、今回の作品で、そこにつきまとうものの禍々しさときたら。そういう紹介はされてるのかされてないのか知りませんが、これは心霊の登場する小説です。この世とあの世の隙間にあらわれた空間をたゆたう顔なきものの、哀しいすすり泣きが聞こえてくるような、そんなお話です。真の意味でのジャパニーズホラーといっても過言ではない、と言い切ってしまいましょう。寒気がするような場面があります。海と、バス停。
 あと、個人的には、この作品では、性愛をないがしろにしないから好きです。生々しくもなく、かといって端的に終わらせるのでもなく、食事や睡眠と同じくちゃんと存在するものとして扱い、食事や睡眠と同じく、必要なものとして書くから、好き。ただ、それがあまり前面に出るとちょっと…なときもあるのですが、この作品においては、それは必要不可欠な道具だったと思います。生きていてもそうでなくても、ひとは存在する。そして、誰かを欲情して求めることがある。性愛の幅を超えた感情としても。そのどうしようもなさが、この物語に影を落とすそのリアリティにぞっとしました。
 それをはじめとして、分かりやすい派手な仕掛けこそないものの、なんともはっきりとしない摺りガラスを通したような光景が続きます。そのなかで、じんわりと浮かび上がり現れる人間のどうしようもない営みには心底、肝が冷えました。絵に描いたような悪人は存在しません。とってつけたような運命も登場しません。あくまで日常的な主人公の生活が語られていくなかで、広がっていく薄い不安が、そのなかに荒れた海のように広がって、溶ける。そしてそれが日差しのなかに消えていくラストにいたるまで、文章のひとつひとつを大事にすくいあげるようにして読みました。家族や恋人に寄り添いたいのに、気がつけばちょっと遠く距離を置き、自分の感情もままならないまま、生きていくしかない女性の視点で語られる物語が、ひたすらすごいなあ。すごい。
 はい、ちょっとこれはすごい作品です。この高みと孤高の視点を、ぜひ味わっていただきたい、そんな作品であります。 

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