「黒い朝、白い夜」岩井志麻子(講談社)



 もうそろそろ、志麻子ちゃんの話はいいよ、お腹いっぱいだよ、と思ったあなた。怖いことにわたしもそう思っているのに、読むのをやめられないのです。そもそもいろんなことに対して粘着質な人間ですのでお許しあれ。
 岩井志麻子の小説には大きく分けて三つの流れがあります。ひとつは「ぼっけえ、きょうてえ」に代表される、主に大正時代の岡山を舞台にしたもの。さらにひとつは、現代を舞台に、交差する人間模様から浮かぶ恐怖を描くもの、そしてひとつ、文字通りの私小説といってもいい、岩井志麻子自身の男性遍歴を語っていくもの、です。最後のジャンルでは、ベトナムでの愛人との日々を書いた「チャイ・コイ」が代表ですが、それから後で出会った韓国人男性との関係、歌舞伎町で知り合った若い中国人男性との交わり、なども時系列に沿って作品として書き続けられています。この本もそのひとつで、あれほど入れ込んだベトナムの愛人とのあいだにもいつしか距離が出来、韓国で出会った男性を内縁の夫と位置づけるも、若い中国人男性との出会いに古めかしい「回春」という言葉を思い出す様子が語られます。繰り返すそんな日々のなか、過ぎ去った季節の思い出に浸りながらも、少しずつ、確実に時は流れていくのです。
 正直言って、男性が書くなら、まあ、古いイメージの作家ってこうよねと流されそうな話ではあります。ただ、わたしのイメージでは、通常、岩井志麻子について語られるときは、こういう内容を、顔もTVで売れている女性が記していること、なおかつ相手が複数のアジアの男性であるということ、およびいわゆる「純愛」でなく、時には経済的な優位を隠さないうえでの、性的な関係が強調されていることなどが、特徴として取り上げられがちで、結果として、それらのことが、この作家の毀誉褒貶の主に毀と貶の部分を担っているような気がします。また、性的なこと、というのは、本来とても個人的なことであるので、これに関する嗜好も倫理もひとそれぞれ。なので純粋なホラーであればまだしも、その面が前面に出たこのジャンルの作品ばかりは、受け付けないかたにはまったく受け付けられず、むしろ反感を持たれるのも無理はないと思われます。
 しかしこれが、面白いのだな。わたしはそういう人間です。
 もちろん、ここまで書いているわたしは、そもそもこのジャンルの作品を嫌いでないのです。個人的にはこの作家は「エロ」と強調されるけど、ちっともエロではないと思うのです。なんていうか、性を通してしかつながっていない関係であっても、見ているものは違う感じ。誰かと抱き合いながらも、心はどこか遠くを漂って、終わった季節や無くしてしまったものを常に悼んでいるような、そんなニュアンスがあります。性が中心ではあるけれど、性に淫してはいない、いないからこそ、簡単にそれで繋がってしまえるような、そんな人々。それは、一般的なエロよりずっと寂しい感じがします。その寂しい匂いに、惹かれます。
 そもそも、文章の巧い下手ではなく、自分にとって心地いい文章というのがありまして、わたしにとっての岩井志麻子はまさにそういう作家なのですね。言葉や文章の整合性や美しさを第一に考えるひとからしたら、きっと目を覆うような比喩や定型文の使いまわしが目に付く部分があっても。正直、「道場でいえば4級」とか言われるかもしれん。けれどもわたしにはそれは欠点でない。この作家でちょっと…と思うところがあるとすれば、時に落ちを作りすぎてしまうこと、なので、それがないまま、流れるように日々が語られていくこのジャンルは、失敗が感じられないのかもしれません。
 まあ、エッセイにも目を通している読者であれば、すでに知っている内容や言葉が重ねて語られているのも、事実なのですが、わたしはべつに「使いまわし」とは感じないです。むしろ、もう一度私小説のかたちで再構成され差し出されるそれが面白い。エッセイであれば、実在の人物として普通にとらえていた人々が、小説の登場人物となると、また違った雰囲気を漂わせる。わたしは、主人公が揺れ動く三人、ベトナムの愛人、韓国の内縁の夫、中国人の若い男のなかでは、丁寧な口調の日本語でしかしゃべれない内縁の夫の不器用さに惹かれます。けれどエッセイを読んでいるわたしは、この男性とも別れて、まだこの小説では現れていない新たな韓国人の若い男と、作者が結婚をしたのを知っています。その結末は小説ではどういう形で書かれるのでしょうか。あんがい、わたしがこの小説の魅力として感じているのは、単に下世話なワイドショー的な興味にすぎないのかもしれませんが、彼女は、それを物語のかたちとして、差し出してくれるのです。
 それは有難い。読者として正しく、ただ愉しんだり、ときに胸を痛めたりしながら、読んでいきたいと思います。

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