「残花亭日暦」田辺聖子(角川文庫)



 実は、わたしは田辺聖子が好きであります。

 初めて読んだのは高校生の頃かな?それから目に付いたときには手にとって、長い間、楽しませていただいております。なのに感想を書いたことがなかったのは、読むのが全部エッセイだったからなのです(筒井康隆、小松左京ほかの作家が実名で登場しドタバタを繰り広げる「お聖どんアドベンチャー」だけは読んだ。面白かった)。小説は、王朝ものを含めて、ジャンル的に、あんまり興味がもてなかった。なので、ファンというと怒られるかもしれません。しかしエッセイの、ユーモアを含んだ女性論男性論はなかなかに面白く共感が出来るものだったので、愛読させてもらいました。30年以上前の女性論がいまでも通用するってカッコいいと思います。あっけらかんとしたユーモアと、実際に働き、金を稼いできた女性としての立ち位置のバランスが良いのですね。

 で、この本も何気なく手に取ったのです。ぱらっとめくって、あ、日記なんだ、読んでみようか。くらいのノリで。まさかこんなに泣かされるとは。

 ご主人が亡くなられたことは知っていましたが、これは、その夫を見送るまでの日記です。過度に感傷的にもならず、ばりばりと仕事をしながら介護を続け、美味しいものに舌鼓を打ち、愛らしいぬいぐるみたちとの会話(女性作家にはこれが出来るひとと出来ないひとがいるような気がする)をしながら過ごす日々のなか、夫に癌が見つかって、かれが逝くのを見送るまでの話です。

 いわゆる「カモカのおっちゃん」とすべてイコールではないにしろ、ほぼモデルとして、おせいさんのエッセイに相手役として登場してきた夫の死は、読者にも同じだけの衝撃と悲しみを与えます。誰かと誰かが寄り添って、日々を過ごしてきた重み。それを無くしてしまう悲しみ。いくら覚悟が出来ていても、時間があったとしても、そのたまらなさは、なんとも表現しがたいもの。けれども悲しみに淫することはなく、人生はだましだまし、で生きていくしかないという作者の姿勢には、大変教えられるものがあります。女性の先達として、尊敬できる。作家として尊敬していた亡き友の夫と結婚し(ただ、入籍はせずに)、残された子供を育てて自分の子供はついに生まず、立派な仕事をいくつも残した。その結婚を、濃すぎる母との関係からの距離をとる為のものでもあったという田辺聖子の生きかたは、いまの女性にも様々な示唆をもたらしてくれると思います。わたしも自分の人生を考えたし、また、自分の父母についても考えました。いつかはこういう日がくるわけで、それを思わずにはいられなかった。もちろん、自分もそうなのです。誰かを見送り、自分も旅立つ。この年齢になると、自分の好きなアーティストや知っている有名人の死は、けして珍しいことではなくなりますが、これまでに見送ってきたひとつひとつの、それを思いました。死を思いました。

 あと、いままで読んだことなかったけど、田辺聖子の小説も読んでみようかと思いました。これまたたくさん数があるだけに、じっくりと読んでいきたいです。

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