「タルドンネー月の町」岩井志麻子(講談社)



 ううむ。ちょっと驚いています。実は個人的岩井志麻子ブームに乗り、立て続けに読んだ作品が「どうもその…」(「十七歳」「匿われている深い夢」やっぱり現代モノはクオリティがいまひとつ)だったので、感想も書かずにいたのですが、この本はちょっとどう捉えていいのか分からない。すごく褒めたい気もするんだけど、それはごく個人的な楽しさでしかない気もする。そんな感じ。
 内容は、韓国で実際に起こった連続殺人を題材にしたものです。貧しい人々を寄せ集めて作られた高台の集落(月により近い場所として、タルドンネー月の町―という名前があります)で生まれ、まともに働くこともなく、詐欺や泥棒などの犯罪に手を染めて生きてきた男が、やがて風俗嬢をターゲットに次々と惨殺していく過程を、物語として書きます。あくまで印象としてですが、事実に沿って書かれている部分も多いと思います。が、主人公の細かな心情を追った部分などは、ドキュメンタリーやルポとは云えない。さらには、岩井志麻子本人をモデルとした作家やその愛人までも登場するに至っては、どこまでが事実なのか、判然としません。そう、わたしがひっかかったのはこの部分なのですね。それがOKかそうでないか。
 最初から中盤までは、寒気がするような、けれど、実際的な男の残虐な行為の描写と、興奮をそそるよりは動物的な性描写が続きます。暗い熱に浮かされたようなそんな描写の積み重ねによって、少しずつ、炙り出されてくる男のどうしようもない嗜虐さ。さらに悪夢のように寄り添う幻想的なイメージが絡み合って、すごいなあと思っていました。『五月の牢獄にて』は、同じように事実をモデルにしつつも、女性の殺人犯の心情に迫った作品でしたが、これはそれとまた違った迫力があります。いつかはかれがたどりつく、破滅の場所はどこなのか。様々な登場人物が浮かんでは消え、かれと一瞬、空間を共有してはまた去っていく。かれには狂気の匂いはしない。ただ、壮絶なまでの人間への不信と愛情が歪に組み合わさった結果としての、むしろ冷静で無機質な瞳だけが、そこにはある。
 しかし、途中で、岩井志麻子本人をモデルにした作家と、その愛人の韓国のホテルマンが登場したときには、ちょっと興をそがれた気がしました。前から思っていたけれど、岩井志麻子というひとは、よく露悪趣味だとか出たがりとか言われるけど、単に必要以上にサービス精神が旺盛なだけなんじゃなかろうか。求められたことを書くタイプ。だからこそ、ティーンズハートでデビューだったんだろうし。なので、舞台が韓国ということで、韓国の愛人に登場を願ったのかなあとか。しかし、ここまでのストイックなまでの連続殺人犯の物語が薄まるのはちょっとなあ、と思いながら、なおも読み続けたわけです。
 彼女らと街中ですれ違ったりしながらも、主人公は、なおも風俗嬢を殺害し続け、その内臓を口にするまでに至ります。が、かれの犯罪は、風俗嬢の相次ぐ失踪に警察が初めて本気になったときに終わります。そして、かれに興味を抱いた日本の作家との短い文通があり、短い交流が行われますが、かれの死刑判決と共に、それも途絶え。どこまでも残虐な行為のなかで息をしていたかれが、自分をそこまで追い込んだ孤独についてその意味を認識することによって、静かな世界に旅立つことを望んだときに、物語は終わります。そこまで読んで、ため息が出た。
 うーん。これは本当にフィクションと云ってもいいんじゃないんだろうか。この、あまりにも血と内臓と腐臭に満ちた物語の終わりを静謐なものに至るために、作家のくだりが必要だったのなら、それはいいと思いました。正直言って、最後を読むと、この作家もまた物語に必要なものだったと思えたのです。ただ、それはわたしが岩井志麻子のそれなりにコアなファンで、とりわけ(作中人物としての)韓国人の愛人がお気に入りのキャラクターだから、なのかもしれない。これだけの残虐な物語のなかで、ひたすら交わりあうだけの二人として書かれてはいるけれど、それに意味があるかどうかで評価は分かれるのだと思います。けれど、実際に起こった犯罪について、それをいわば物語化するためには必要だったのかなとわたしは感じました。岩井志麻子の意図は、決してドキュメンタリーではなく事実にインスパイアされた物語であったと思うので、その為にあえてフィクションとノンフィクションの狭間に立つ自分たちを模したキャラクターを投入したのであれば、それは、この救いようがなく同時に救いを求めてもいない物語をまとめる糸のような役割を果たした、と思います。
 しかしもしかしたら単純に、週刊現代連載だったということですから、エロとホラーの岩井志麻子に仕事を頼んだのに、いつまでたっても「あんたのエロは怖すぎて抜けないんだよ!(BY西原理恵子)」なものだから、週刊現代を手に取るサラリーマンにも少しは安心できるサービス場面を、ということでのご登場だったのかもしれませんけどね。しかしそれはなんというか、そもそも、間違ってる(主に需要と供給の関係で)。
 内容は7割残虐行為、2割が性描写という感じですので、苦手なかたは最初から手をつけないほうがいいと思います。わたしは活字のこういうのに慣れているほうだと思いますが、それでも、かなりきつかった。こういうテーマ(実在の連続殺人犯)に興味があるかたなら、ちょっと手にとって頂いてもよいのでは。ただし、ドキュメンタリーではなく、あくまで物語なので、一種のサイコホラーとして読むのが正しいと思われます。

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