「鐵道心中」岩井志麻子(双葉社)



 大正半ばの東京にて、鉄道心中を図った良家の人妻、露子夫人と運転手の青年。人妻は瀕死の重傷を負い、軽傷だった青年は現場から遁走した。醜聞とも悲恋とも世に噂された事件ののち、夫からも離縁され、隠遁生活を送っているかのように思われた人妻は、高級カフェの女給として夜の街に現れるようになる。それを追い回す新聞記者の男が巻き込まれていく妖しい運命――――。
 いいじゃないか、志麻子ちゃん!と、のっけから云ってしまいました。志麻子ちゃんの大正モノには定評がありますが、その多くは貧しい岡山での生活のなかで蠢く人々の愛欲がテーマになったもの。今回は、東京が舞台です。ここでのインタビューを読むと、実際にあった事件を元にしているそうですが、賭けてもいい。あくまで一部ディティールしか使ってないはずだ。そしてやっぱり長編は一発勝負なのか志麻子ちゃん…。
 心中を生き残ったあと、自分でない自分としての生活を夢に見るようになった露子夫人。彼女の奇妙な行動と姿を消したままの心中相手の運命はどこかで絡み合うのか。繰り返しの多い文章は何度も行きつ戻りつしながら、同じことを語っているようで微妙にそうでなく、まるで濃い色を重ねて塗りつけていくうちにさらに違うもうひとつの色が現れる油絵のように、くっきりと印象的に場面を浮かび上がらせます。夢と現実の交じり合うさま、それがまさに悪夢のように禍々しく、おぞましいからこそ、現実世界の露子夫人の豪奢な美しさが際立ってみえます。これぞ志麻子節
 はっきりいえば、この物語に登場するほとんどすべての男のファムファタールたる露子夫人の造型が、通り一遍のものであるか、むしろ類型的であることを避けて人間的な部分を覗かせてしまうようなことがあれば、この物語はいっさい成立しないような話です。それが凄い。見事見事と手を叩きたくなりました。通俗だとも類型的だとも、いうひとは多かろう。なに、この物語のなかで、妖しく、美しく、心をどこかにさまよわせている人物でありさえすれば、そう、このなかで成立する人物造型でさえあればいいのです。そして、露子夫人がこういう人間であるということが、くっきりと浮かび上がることによって、あの無茶ともいえる心中の真相もまた、説得力あるものになるのです。心中の相手たる酒井の静かでありつつも狂気をはらんだ佇まいも、印象に残りました。ていうか、そろそろ自覚したので告白しますが、わたしは志麻子ちゃんの書くこの手の男がたまらなくタイプであかんのです。丁寧語で端整で落ち着いた雰囲気、なのに妄執。こういうのなんていうか知ってる。キャラ萌えていうんだ。
 しかしやっぱりこのひとは作家だなーと思います。文学賞とか高尚な趣味の文学人からは評価されない、いわば流行作家のひとりかもしれないけれど、書いても書いても書くことがある、書くことに憑かれている感じがします。ネタ的に繰り返しが多いのも、書きたいことを何度でも舐めるように味わいたいからでなかろうか。この本に関しても、正直云って、もうちょっと刈り込んだらとか、微妙に辻褄が合ってないところがあるあたりが、もう一声!という感じもしないでないのですが、とにかくこの厚さをこの内容で大きな破綻なくまとめあげた力技と、一種の御伽噺を読んだあとのような、読後感の良さ(いやホンマに)を評価します。エロもグロも適度な色づけにとどまり、むしろ志麻子ちゃん本来の持ち味のひとつである幻想的な雰囲気を漂わせる文章の香り、が濃厚です。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする