「どこから行っても遠い町」川上弘美(新潮社)



 東京の小さな商店街を舞台に、そこに住まう人々の連鎖するすれ違いを通して、人生における様々な場面と展開を浮かび上がらせていく連作短編集です。全部で11の短編が収録されています。どれも派手ではありませんが、巧みな作品です。
 人が生きるということは、時々、とても不器用で、辛い。過ちは簡単に存在し、うまくいかないことは劇的な解決につながることもなく、そのままで存在し続ける。ひとはそこから自由になることは出来ないまま、けれど、己の責任を引き受けて生きて、やがて老い、死んでいくしかない。そしてそれでも失われることはないものが、おぼろげに、残る。時々、とてもグロテスクなもの、奇妙なもの、としかいいようが無い関係や、ものや、ひとを抱えて生きていくひとがいて、けれども、当人は案外平気な顔をしていたりする。もし、ここに、善悪の判断が登場するのなら、それは、見ないでいること、認めないでいること、をどう思うか、なのかもしれません。見ないでもいい、生きなくてもいい、けれど大事なのは、自分がそれを選んだことを認識しているかどうかということ。それを怠ったときに、なにかが自分のなかから欠けていくのではないでしょうか。まったくもって、個人的な感想ですが、この本に登場する生きにくいひとたちの姿を見て、そんなことを思いました。
 個人的には、「あまり穏当でない」父親を持って、父子家庭で育った少年が成長していく「午前六時のバケツ」、「だいたいのことは、わたしは、平気。」と、平凡である自分を卑下もせず、人に対する積極的な感情も持たないまま見合い結婚をした主人公が、癖のある姑との関わりのなかで、これまでの生活と違ったものと出逢いながら、それでも平凡な望みを抱いて眠りにつく「長い夜の紅茶」、15歳上の女性との15年にわたる関係の中、それでも彼女を諦めきれない男性の揺れ動きを描く「四度めの浪花節」、女同士、男同士の、友情というのとはまたちょっと違う、しかし繋がりきれず離れることもない細い糸がからんだような関係を語る「急降下するエレベーター」「濡れたおんなの慕情」、連作短編の最後、これまでの話にちらちらと姿を現しては消えない影を残してきた女性が語り始める「ゆるく巻くかたつむりの殻」などが良かったです。
 わたしが、一般のエンタテイメントと違う純文学に求めるのは、一瞬の、しつこくない、わずかな洞察のようなものです。気づきというか、揺れというか。いままで気にも留めずに生きてきたなかでも、あ、こういうことだったんだ、と、初めて自分の感情の意味に気づかされるような、一文を得ること。ジンセイの意味、とまでいくと、大仰ですが、く、と胸をつかまれるような感覚に触れることが大事です。そういう意味で、わたしにとり、この一冊は良い本でした。ひとはみな過ちを犯し、いびつなものを抱えて生きていくこと。けれどそれは呪いでなく、宝でもなく、僅かな、幸いであるのかもしれない、そんなことを感じました。

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