「ブラックジュース」マーゴ・ラナガン(奇想コレクション・河出書房新社)



 ゼナ・ヘンダースン「ページをめくれば」(感想)に引き続き、河出の奇想コレクションを少しずつ読んでいこうとしています。スタージョンなど既読のものも再読予定。「ミステリ、SF、ファンタジー、ホラー、現代文学のジャンルを超えて、『すこし不思議な物語』の名作を集成」しているこのシリーズですが、とかく海外文学は、とっつきにくいことも多い。また、わたしの好み的にも現代文学に偏りすぎたファンタジーはちょっと苦手であります。またわたしの本来好きな「奇妙な味」ものには、まぎれこんでいる(失礼)ことも、多いんだこれが。
 なので、おっかなびっくり、少しずつ中身を確認しながら、といった感じになってしまうのは仕方ないかもしれません。同じような意趣のハヤカワの「異色作家短編集」は傑作は多いものの、やはり時代的に古すぎる。当時は斬新だったのだろうけど、そこから派生したアイデアのものを先に読んでしまっているものもあって、そこがちょっと残念(スタンリイ・エリンの「特別料理」とか)。
 さて、今回の一冊は、オーストラリア在住の女性作家である著者が、兼業作家として己の進むべき道を模索しながら、たどりついたジャンルとしてのファンタジーです。本書の収録作もすべて、片道45分という通勤電車のなかで書かれたと解説にありますが、そんな状況で書かれたとは思えない(あるいは、だからこそ?)、どうにも定義づけしにくい不思議な刺激が感じられる作品が揃っています。以下、10の収録作のうち、心に特に残ったものを選んでご紹介。
沈んでいく姉さんを送る歌」 2005年の世界幻想文学大賞(短篇部門)を受賞した作品です。それも納得。ある残酷な儀式が静々と行われていくさまを、幻想的な味つけを巧みに絡ませ、最後まで読ませます。わたしはシャーリイ・ジャクスンの「くじ」を連想しました。あそこまで不条理でもなく、なんとはなしに理解できる道筋は用意されているものの、その運命が残酷で悲劇であるのには変わりが無い。ただ、その世界を彩る小道具や歌(聞こえるはずが無いのに読み手にまで届くような歌声)、花輪などの色彩のイメージがふんだんで、そこが、これを単なる残酷な話と一線を画す作品にしているような気がします。読んでいる自分もまた、タールの池に、そっと足をひたしてその温みとねっとりとした感触を感じているようなそんな錯覚を得られます。
愛しいピピット」 この作品集に収められている作品はどれもですが、過剰な説明がありません。まず、ゆっくりと物語が回転をはじめて語られていくうちに、語り手やその舞台がどんな世界であるかがおぼろげに理解できていく作りになっています。この作品の場合、語り手が象であり、彼女らが求めるものが自分たちを愛して信頼してくれた象使いであることが理解できたときに、かれらが檻を抜け出して感じた冷えた夜の空気、象使いが抱きしめる象の足のちくちくした感触、象には鳥のさえずりのようにしか聞こえない象使いが呼ぶ彼ら自身の名前、などの音や匂い、触れ合いなどが真に迫って感じられるように思えました。象たちの集合的な思考、にもかかわらず、溢れるような愛。美しいと思います。
大勢の家」 障害がある妹と、強い母のもと、バードと呼ばれる吟遊詩人が率いるコミューンで育つ12歳の男の子、トッドの目を通して、その奇妙ではあるけれど、整然とした暮らしぶりが語られていきます。バードはいったい何者なのか。妹に救いはあるのか。かれらが強く崇める<三人の家>という物体の正体が知れたとき、そしていったんコミューンを離れたトッドが、大人になって戻ってきたときにかれを迎えたものは。謎解き的な面白さもさることながら、静かな祈りに満ちた場面がそこかしこに見られ、さらにそれを御伽噺で終わらせない、最後の場面も含めて、幻想的な面白さに満ちた作品であると思いました。
ヨウリンイン」赤子のころに、「ヨウリンイン」と呼ばれる怪物に両親を殺され、自分もその洗礼を受けたことから、村中から忌むべきものとして扱われる少女。けれど、彼女の目には「ヨウリンイン」の再びの訪れが見える。彼女がひそかに想いを寄せる少年にも、怪物は容赦なく襲いかかり???という、ホラーに近い作品。怪物の造形のおぞましさと、(けして美しくはないであろう)少女の、清廉な眼ざしのコントラストが印象に残りました。
 全体的に、分かりやすい話は少ないのですが、自分のなかで物語の中心となるイメージをうまく浮かび上がらせることが出来れば、まさに幻想的な体験を与えてくれる話ばかりだと思います。「なんだろう」と思いながら、頭に浮かぶ映像をこねくり回していけば、そこに世界が広がるような感じです。そこがまさに「奇想」なのかもしれません。

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