「ヤバい経済学」スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー(東洋経済新報社)



 経済学、というと数字が並んでいたり、株式相場の折れ線グラフのイメージしかなかったわたしですが、タイトルに惹かれて何気なく手に取ったこの本は、びっくりするほど面白かったです。もっとも、経済学というよりは社会学よりかもしれません(本文のなかでもそう指摘されたというエピソードが紹介されています)。わたしはパオロ・マッツァリーノの著作を連想しました。けれど、それだけ読みやすい。経済学という言葉から連想される無味乾燥な文字の羅列とはほど遠い、ユーモアと入っていきやすさがあります。
 これは経済学の手法を用いて、現代社会の様々な仕組みを紐解いてみせる一冊です。それだけだったら、なにも面白くはないかと思いますが、ごく身近なテーマを数字を使って分析していくことにより、思いもよらぬ方向から、物事に対してのひとつの視点が浮かび上がることとなっていくのです。
 たとえば、本書で取り上げられたテーマのうち、いくつかを紹介しますと、「過去10年の間にアメリカの犯罪発生率を大幅に引き下げたものはなに?」「麻薬の売人は本当にリッチ?」「完璧な子育てとはなんだろう」「選挙って本当に金?」「名前が人生を決めるってありえるかな」等々、どれもが身近で、通念や定説としての答えも存在しているような疑問ばかりです。が、データを用いた分析から、一般に考えられているそれらの答えのほとんどが正しくなく(あるいはそれほどの影響力がない)、もっと違う答えが存在していることが導き出されていきます。その過程はかなり刺激的で、スリリングですらあります。
 たとえば、この本のなかで指摘された「犯罪発生率を大幅に引き下げたもの」の正体について、アメリカではこの事実の指摘はまず受け入れられなかったでしょう。さんざんに攻撃されたとあるのはさもありなん。しかし、日本の犯罪発生率が先進国のなかでも低い水準にある原因のひとつもこの事実によるものかもしれません。現代の日本では、(実は法律的にはまだ縛りがあるのですが)、ほぼ自由に行うことが出来て、アメリカでも多くの制限つきながら70年代に可能となったあることが、90年代の犯罪発生率を引き下げたのです。その正体に興味があるかたは、ぜひ本文を参照してください。一部を抜き出して紹介すると誤解されそうな、ちょっと衝撃的なことではあるので。
 それに限らず、この本で紹介される視点は、たとえば暗闇のなかでうごめく生き物を照らし出す一筋の光のようなものです。もちろん、一筋の光では全体を見渡すことはできないかもしれません。が、暗闇のなかにいるものを「光る目なんだから猫に決まっている」と人々が想像して満足しているものを「でも、この光を照らしたら、鱗と角が見えたんだよ?」というような驚きを与えてくれる感じがするのです。その答えだけがすべてとは思わないけれども、無視できない事実を。そして、この視点が導き出すのは、往々にして人々があまり信じたくないような事実でもあります。耳障りの良いことが真実とは限らない。それも、とくに、人間の住む世界においては。だからこそ、わたしはこの光が照らすものを面白いと思いました。
 実際、著者は経済学者として高い評価を得ながらも、学会ではどこか浮いた存在であるようです。しかし、データを用いて分析していくことにより浮かび上がる人間の行動と、それを左右するインセンティブについて考察することは、とても刺激的でなおかつ面白いのです。しかも、おそらくは、社会の役に立ちます。
 データを用いて云々ということから、この本は冷たい数字から論理的に分析して、人間の様々な可能性や個性を無視していると受け取られるかもしれませんが、それはどちらかというと逆で、道徳や通念が「こうである」と決め付けているものを、「いや、実際にはこんな可能性もある」と示している内容だとわたしは思います。理想的な白人家庭で高い教育を受けて育った子どもと、黒人の典型的な貧困社会のなかで12歳にして自立して生きなくてはいけなかったこどもの例を引きながら、二人がその後どうなったかを紹介するエピソードは、ちょっと感動的ですらあります。
 物事は目に見える姿とは実はぜんぜん違う意味合いを持つのかもしれない。ちょっとずらした見方が、なにかを与えてくれるかもしれない。そんな感想を得ました。大変に面白かったです。

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