「記憶に残っていること (新潮クレスト・ブックス 短篇小説ベスト・コレクション) 」堀江敏幸編(新潮社)



 新潮社が出している海外文学の短編集のシリーズの10周年を記念して、そのなかから編まれたアンソロジーです。解説の「人はなにかを失わずになにかを得ることはできない」というタイトルが象徴的に示しているように、どの作品にもある種の喪失と諦念の香りが漂う作品集となっています。そう書くと、陰鬱さや後味の悪さを連想されるかもしれませんが、それは不思議とありません。洋の東西を問わず、ひとはなにかを失いつつも、生きていくのが当たり前だから、なのかもしれません。以下、とくに印象に残ったものをご紹介。
もつれた糸」(アンソニー・ドーア)フライフィッシングをするために、早朝から出かける男。かれが静けさを求めて川岸に立ち一心に竿を操るときも、周りの冷えた空気や芳醇な山の空気は変わりが無い。かれが犯した一瞬のミスに打ちのめされて
あがきはじめたときも。おそらくはありふれた過ちと、それによって身動きがとれなくなった男の行動と哀しさが印象に残りました。
エルクの言葉」(エリザベス・ギルバート)冬には閉ざされてしまうような山奥のなか、初老の女性、ジーンは甥のベニーを引き取って育てている。そして、ハロウィンの夜にかれらを訪れた新参者はエルクを呼ぶ笛を持っていた。自然のなかに介入することに悪びれない人種への抜きがたい嫌悪感が、いま現在の生活に関するわずかな疑念にもつながりかけて、とぎれる視点が独特な感じです。
献身的な愛」(アダム・ヘイズリット)イギリスの片田舎で、肩を寄せ合うようにして暮らす中年の姉と弟。二人の静かな生活に一瞬の華やぎをもたらしたのは、かつて二人の人生に関わった男との再会の約束だった。けれど、弟は姉に、姉は弟に、それぞれ、話すことの出来ない愛情と秘密を抱えていた。なにかが起こるようで起こらなかった、そして起こらないことが静かな波紋となって姉と弟の関係に広がっていく、そんな話です。しかし波紋がいつか収まるように、二人の間の動揺もまた静かに収まっていくのでしょう。タイトルが意味深な一作です。
ピルザダさんが食事に来たころ」(ジュンパ・ラヒリ)アメリカに住むインド系の人々。大人が、祖国の戦乱を思い悩みつつも何事も変わらないような振る舞いを続けているとき、こどもは、実際に見たこともない国の名前がニュースで流れるのを不思議に眺めるしかない。けれど、一家の客人となる男にも、祖国に残してきた娘がいることを知ると、こどもはこどもなりに、祈ることを覚える。食事やお菓子、そういった異国的なディティールがアメリカのなかの異国と、故郷を遠く離れた人間の哀しさをより身近に感じさせます。こどもの無邪気さと純粋な精神の自由さが、愛らしく、ちょっと痛ましい。
」(アリステア・マクラウド)灯台守りとして、小さな島に住み続けることを選んだ一族。時代がゆっくりと進んでいくなか、一族の娘は恋する男の子を宿すが…。実は、この作品集のなかでいちばん骨太であるがゆえに、わたしには読みづらかったものの、間違いなく傑作であることを認めざるをえないのがこの作品です。長い時間の流れのなかでも、時たま挿入される印象的で神話的でもあるエピソードと、寓話的であるけれどもある種の感情移入を許してくれるヒロインの性格描写が、点在するように置かれている。そしてそれが最後の約束の成就となって結晶されるときに、最高の効果となって現われるのです。短篇にも関わらず、長編を読んだようなずっしり感がありました。
死者とともに」(ウィリアム・トレヴァー)23年連れ添った夫を亡くした夜に、慈善活動の一環としてやってきた老姉妹をもてなすエミリー。お茶とケーキの会話のなか、冷淡で強欲だった夫との真実を口にせずにいられなくなる。それでも、愛情の殻のようなものだけは残っていたのだけど。夫婦の関係と、取り残されたものが逝ってしまったものを思うときの微妙な心情が夜明けの光に照らされるように浮かび上がる作品です。
 ここで紹介しなかった作品も含めて、どれもがかなりの水準に達した読み応えと余韻を残す作品集です。人間のもつ感情と運命は文化や国境を異なるものにも、同じように宿るのかもしれないと思います。むしろ、同じ国同じ言語のひとから教えられることによって客観性が失われる苦しさも感じることがあって、わたしは海外文学が好きなのです。一枚の曇りガラスを通して見る景色もまた、自分の周りの景色と同じであること、それに安心したい気持ちも含めて。

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