「夜」橋本治(集英社)



 うちのめされました。もちろん、橋本治はわたしにとっていまさらいうまでもなく重要な作家であり、その膨大な数の評論も、完全ではないにしろ追い続けてきたひとです。小説に関しても、わたしにとっての源氏物語は「窯変 源氏物語」であるし、「雨の温州蜜柑姫」で感じた目の前が不思議と開かれていくような感動は、未だに強く印象に残っています。さらには「暗野 BLACK FIELD」の禍々しさや、「Simon & Garfunkel’s Greatest Hits + 1」の、痛々しいほどの瑞々しさもまた。しかしこれはないわ。やられたとかそういうのでない。感動とか傑作とかそういうレベルでもない。ただもう、うちのめされた。橋本治は、神です、神。
 この本には5つの短編が収録されています。どれもが、ある意味で壊れた関係と規範のなかで、表面上は淡々と生きようとしつつも、ゆるやかに生きていくことに失敗していくような、そういう世界です。どれもが、橋本治ならではの端正な文体と揺らがない観点(視点ではない)に支えられ、こくのある作品となっています。文章が実に美しく、なんというか、含みがある。そして、これはもう信者のたわごとと云われても仕方がないのだけど、橋本治は常に正しい。あまりにも、本当のことを書く。それがどんなに救いの無い世界であっても。
 男女が恋に落ちる、という過程を丁寧に追った「灯ともし頃」を読めば、それが分かります。冷徹に分析するように、二人の人間の距離が少しずつ近くなっていくことの意味と、近づいているのにすれ違っていく気持ちの揺れを、こんなに分かりやすくも、正しく書く作家がいるでしょうか。正しく書く。そう書きましたが、わたしはこれに自信が少し無い。こんなの男じゃないよ、とか不自然だよ、というひともいるかもしれない。けれど、そういう人には、この機微を感じるような経験がないんだとか傲慢に言いたくなってしまうほどの、なんだろう、極私的なリアリティ?(考えながら書いてます)。いや、べつに夫に出て行かれたり女にだらしない男に振り回されたりしたことが過去あったわけではないのですが(聞いてない)、ひととひとの関係性を真剣に考えたとき、どうしてそうなってしまうのかということを、突き詰めて考えていけば、おのずとこういった、人間が本来持ち合わせている自己中心的な面が浮かび上がってくるのだと思うのです。そして、恐ろしいことに、橋本治はそれを逃げない。個人の性格やキャラクターに責任を負わせることをしない。なので、その小説の中で、人物は書割りでなく、息づく存在であります。評論のときと同じように考えをめぐらせて解説しているように見える部分もありながら、これは明らかに小説なのです。すごいなあ。ため息ついた。
 ここにあるのは、ありふれた不幸です。どこにでもあるような、夫の不義や、男の不誠実です。しかし、その本質にあるのは、恐ろしいまでのディスコミュニケーションです。人と人は分かり合えない。人は、本能的に、自分のことしか考えることは出来ない。なぜ、と問う声は届かず、伸ばした手は握り返されない。たとえ床を共にしていても。そして、もっとも絶望的なのは、それでも、ひとは誰かを恋してしまうのだ、ということ。その恋の思いは、ほの温かく幸福であり、それもまた真実に違いないということ。
 この作品集でいちばんの作品といえば、最後に収録された「暁闇」でしょう。男性同士が抱き合って目覚める場面から始まるこの作品は、同性愛者である男性と、異性愛者である男性、二人のあいだにどのような愛情関係が成り立つことが出来たのかについて語ります。「愛している」と互いに口にしながらも、どこまでも食い違いつつ、けれど一緒にいることをやめることが出来ない二人。二人ともが、自分のことしか考えられず、相手への執着に振り回されます。ただし、同性愛者である男のほうは、より己の性癖に自覚的でなければならなかったせいか、この関係の不毛さに先に気づきます。しかし、それでも、関係は途切れない。終わらせるには、あまりにも大きな代償を払うしかない。すなわち、かれを愛しいと思う気持ちも含めて、感情を失うこと。
 もしここにあるのが愛であるならば、神様は気になさらないはずでしょう。しかしこれは明らかに愛でない。しかし二人にとっては愛と表現するしかないものであって、その断絶に、ため息が出ます。しかし、わたしがこうやって書いたストーリーを読んで、皆様が想像するような話では、おそらくないのです。いっておくけど、萌えないよ!哀しいけれど、美しいとは思わない。この二人の関係にうちのめされる要素が自分にあるかどうかは別としても、そのどうにもならなさに、たまらない気持ちになる。相手を変えることが出来ないまま、それでもその相手をどうしようもなく恋してしまうこと。その苦しさに胸が震えました。
 そして、わたしはなによりも強調したいのですが、ここまでの断絶の物語でありながら、読後感は、けして悪くないのです。しん、と冷えた空気のようなものが胸に残りますが、単純に不幸な話を読んだあとのような、いつまでも嫌味な味が残るような、そういった感じがない。それは、ここには悪人が存在しないからだと思います。どちらも誰かを傷つけようと意図したわけではない、ただ寂しいという気持ちがあっただけ。なので、読み終えたわたしの胸に残る気持ちもまた「寂しい」と表現するのがふさわしいのだろうなと思います。寂しい。人間は、とても寂しい。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする