「キス・キス」ロアルド・ダール(早川書房)



 相変わらずちまちまと読んでおります、早川の異色作家短編集。ダールといえばこういう作家の代表みたいな名前で、賭けをテーマにした「南から来た男」などが有名ですね。あと、最近だと「チャーリーとチョコレート工場」の原作を書いたことでも知られているかもしれません。わたしは、星新一や阿刀田高(この「キス・キス」の解説も書いています)のエッセイでよく紹介されていたこともあって、何冊か読んだことはあるのですが、代表作以外はあまり記憶には残っていません。この「キス・キス」は初読です。
 全部で11の短篇が収録されていますが、どれもが人生と人間をちょっと斜めから見たような皮肉な色合いが濃いものです。まさに奇妙な味。以下、とくに印象に残ったものをご紹介。
女主人」田舎町に宿を求めてやってきたビジネスマンの心を惹きつけたのは、暖かそうな暖炉の前、まるくなって寝込んでいるダックスフントと大きなオウムがいる宿屋だった…。
 当たり前の会話の中で少しずつ浮かび上がっていく女主人の異様さが、これみよがしでなく、技巧的に面白いです。ただ、スタンリイ・エリンの「特別料理」を読んだときにも感じたのですが、発表当時は斬新で意表を突かれる展開であっても、そのアイデアの巧みさが、多くの亜流を生み出したあとでは、オリジナルの味わいがいささか失われてしまうのは、もうしょうがないことなのでしょうね。けれど、短篇ミステリに免疫がないひとや、あっさりとした読み口のあと、ぼんやりと浮かび上がるささやかな戦慄を愉しむことができる、素晴らしい出来なのだと思います。
ウィリアムとメアリイ」厳格な学者だった夫は亡くなったときに、妻に宛てて一通の手紙を準備していた。その手紙に書かれている実験の内容とは…。
 わたしは、これにとても感心しました。とんでもなく破天荒な設定なのですが、にも関わらず、妻の反応のある意味、自然で、不気味なこと。意外であるはずなのに素直に納得させられる、人間の心の機微を掴んだ内容だと思います。
天国への登り道」乗り物の時刻に遅れるのがなにより不安な夫人と、それに無頓着な夫という組み合わせ。誰もが胸に思い当たるであろう普遍的な不安が、限りなく高まり、ついに一線を越えてしまったときに起こったこととは…。
 わたしもまた、乗り物に乗り遅れることを恐れ、逆に早く着きすぎてしまうタイプです。夫人のあせりや焦燥感は、まったく他人事でない。そして、またそういったことに無頓着な人間への、あの気持ちの描写がとても巧い。しかし、その結果としてたどりついた夫人の心境を思うと。まさに奇妙な人間の心です。自分はそうなるかもしれないし、ならないかもしれない。共感と違和感のぎりぎりのラインを綱渡りさせられるような奇妙な感覚になりましたが、なによりも、この結末はただ、恐ろしいです。
ビクスビイ夫人と大佐のコート」愛人に贈られた豪華なプレゼントを、なんとか夫の邪推にさらされることのない手段で、正当に自分のものにしようとした夫人の企みは、思わぬ結果を招きます。
 これ、たしか小林信彦のエッセイで読んだ記憶によれば、元はヨーロッパに伝わっている伝承かなにかをアレンジしたものらしいですが、いやあ、まさに一本とられた感があります。どこにも持っていきようが無いこの運命。どうにもこれ以上ごまかしがきかない、見事な結末だと思いました。皮肉皮肉。
誕生と破局」何人もの赤ん坊を失い、またようやく生まれた赤ん坊を見ながらも、不幸な若い母親は再びこどもを失うのではないかと怯えて神に祈るしかない。母親の思いを一身に受けたその子の名前は…。
 これも「女主人」と同じく、阿刀田高のエッセイで紹介されていたので、落ちも全部覚えていたのですが、これが真実の物語であっても、こういうかたちで物語として提示するダールの視点は、やはり独特なものだと思います。
 は好みはあれど、収録作のどれもが水準以上の作だと思います。奇妙な味の入門編としておすすめなのはいうまでもありませんが、こういう種類の作品が好きなら、古典もちゃんと押さえておくべきだと思いました。ダールのほかの作品も読み返してみるかな。

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