「やさしい小さな手」ローレンス・ブロック(ハヤカワ・ミステリ文庫)



 元アルコール依存症の探偵、マット・スカダーのシリーズで知られるローレンス・ブロックの短編集です。主にミステリやサスペンスの分野で活躍している作家ですが、わたしはもっぱら、スカダーシリーズのファン。そして、かれの短篇がとても好きで、見つけたら手に取るようにしています。
 全部で14編の中短篇が収録されています。始まりからしばらくは、ゴルフ、野球、バスケなどのスポーツにまつわる話が続いたもので、悪くは無いけど、ちょっと面白さに欠けるかな、と思っていたのですが、中盤から、ブロックお得意の異常な心情に基づいた犯罪や情熱の果ての所業というテーマに変わってきて、そこらへんから大変楽しく読むことが出来ました。しょせん洒落た話よりも、そういうのが好きなのだな…。しかしあまりそういう箇所に特化しすぎていると、個人的には辛い。わたしにとってのブロックはそのバランスがとても良い作家なのです。
 いくつか紹介するなら、まずは「三人まとめてサイドポケットに」。酒場を訪れた男が女の誘いに乗ったあとに起こる惨劇は、ある意味お定まりなのかもしれない。けれど、ここにいる人物は、そもそものはじめからそれを楽しんでいるようにも感じられる、その不気味さが印象に残りました。また、刑務所を出たあと、真面目に働いて生きていこうとする男の目に入るバーの灯りが、やがて男を誘い込んで…という「やりかけたことは」も、筋書きが読めると思わせておいて、最後の一行ではっとさせる技があります。そういう仕掛け自体がアナクロに感じられるひともいるかもしれませんが、わたしはこういうの大好き。
 そしてこの短編集でわたしがもっとも引き込まれてやられた気持ちになったのは「情欲について話せば」。軍人、警官、司祭、医者が、カードゲームの合間に、それぞれが持ち合わせている「情欲」に関する逸話について語っていく形式になっているのですが、エピソードひとつひとつがそれ自体で短篇小説の題材になりそうな、痛ましいほどの情欲とそれにともなうある種の悲劇と狂気に包まれています。そこには善悪や貴賎の差はなく、ただある種の情熱は、どんな方向にも人間を走らせるのだということだけが、事実として存在しているのです。
 ある一定のラインを超えた狂気の所業を取り扱うフィクションは、まさに星の数だけ溢れており、そのどぎつさやえぐさもまたどこまでも突き進んでいくようですが、ここに書かれていることも同じようなどぎつさを扱っているようでいて、ほんのわずか、読んでいる側に共感の視点を残すのです。完全に向こう側の世界というわけでなく、自分もまた、ほんのわずかなボタンの掛け違いによっては、そこにたどりつき、姉との逢引にボーイスカウトのキャンプを抜け出したり、狂気のような嫉妬の虜になったり、ある情景を思い浮かべずには満足にたどりつけなかったり、猫いらずのビンを持っている(あるいは差し出して)いるのではないか(あるいは差し出して)という一瞬の感覚。あり得ない世界、心境に達したはずの人間の見ている風景を、わたしもまた見ているような錯覚。わたしはこれがある小説でないと、読み進めるのが辛いです。もちろん、ひとによっては、ブロックの作品もまたきつすぎて、共感の場所など、どこにも見出せないと思うかもしれませんが。
 続いては、表題作「やさしい小さな手」。この文庫は、黄色のスイセンにかこまれた長い髪の美しい少女の写真です。そしてこのタイトル。ハヤカワさんも粋なことをなさる。この写真にこのタイトルでまさかこんな内容とは。と思うようなひどい(いやその)内容です。ここにもまた、向こう側で息づく魂を吸ってしまった人間がいます。しかしその優しい小さな手でなにをしたかと思えば…。
 そしてさらに続く「ノックしないで」からは、少しトーンダウンして、ブロックの得意技である市井に生きる人々の生活で起こる優しい目線で語られる出来事、マット・スカダー物の短篇などが続きます。この本の構成は、ちょうどそういう感じ。静かで落ちついた作品から始まって、加速度を増した激しい内容を伴う作品にたどりつき、やがてじっくりと落ち着き、最後には事件らしい事件はなにもおきない「夜と音楽と」で締められます。この構成が見事。とても楽しませてもらいました。
 しかし、この「現代短編の名手たち」というのはシリーズになっているのですね。新しい作家に出会うためにも、ちょっと順番に読んでいってみようかなと思います。

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