「夜がはじまるとき」スティーヴン・キング(文春文庫)



 ホラーの帝王、スティーブン・キングの短編集であります。
 キングといえば、まずイメージされるのは、超自然的な内容を扱ったホラー、あと、映画化された「グリーンマイル」や「ショーシャンクの空に」などから、人間の尊厳と愛を謳ったもの(いや本当に)、あるいはもっとジャンクにB級ホラーの味わい深いどろどろのぐちゃぐちゃ、などが挙げられるのではないかと思うのですが(おおざっぱで申し訳ない)、この短編集には、どれも入ってます。なので、ここに収録された作品の一つだけがアンソロジーとかに収録されたとして、それを読んだ人がそんな作品ばかりを期待して手に取ったらどうなることやら、な中身でもあるということですが、ファンとしてはただひとこと。キング大好き
 「N」
 書簡で語られる恐怖譚。ある精神科医のもとを訪れた強迫神経症患者の語る、奇数と偶数に囚われた世界の原因とは…。キングは、じわじわと積み上げられていく言葉によって、姿を現してゆく恐怖の正体、正面から描いてしまったら、安っぽいイメージになりかねないあの古き神々の姿を鮮やかに描き出します。また、その部分にこだわらずとも、ちょっとのずれ、斜めに傾いだ視界が、さながら遅行性の毒のように、人間の精神に忍び寄ってもたらす恐ろしい影響に震えればいいのかもしれません。わたしは、最後の章を読んだときに「ああダメだ…」と怯えました。
 「魔性の猫」
 猫という動物は、好きな人には本当にたまらない存在ですが、苦手な人にも真逆の意味でたまらない存在であることは間違いありません。猫嫌いのひとの悪夢として存在するようなこの作品の猫は、片側は白く、片側は黒い毛並みに覆われて、緑色の細い線で縁取られた金色の瞳の持ち主です。とても美しく、とても恐ろしい。それはこの猫の所業が事細かに語られたあとでもなお変わらない感想です。
 「ニューヨークタイムズを特別割引価格で」
 夫からの電話を受けた彼女は、聞こえてくる声に信じられない気持で耳を傾け続ける。なぜなら夫の乗った飛行機はアパートメントビルに激突して灰になったのだから。もちろんこれはありえない話。しかし、このありえない話が、夢でもいいから自分にも起きてほしいと思うひとは世の中にたくさんいるのではないでしょうか。夫のいる世界と彼女のいる世界が混ざり合うことはなくても、彼女は不思議なメッセージを受け取ります。タイトルの意味が分かる瞬間に、せつなさがひときわ増す作品です。みんなこれだけ読んでキングは良い人だと思っておけばいいのかも…。
 「聾唖者」
 教会の懺悔室で、セールスマンの男が語り始めた内容は、あるヒッチハイカーを拾ったことから始まっていた…。キングはこの作品を、学校の経費を使い込んで富くじに当てていた女性がいたというニュースから着想を得たそうですが、いやまさにこれは配偶者にとっては信じられないような悪夢。しかし、その悪夢がこのようなかたちで解決されたとき、この偶然の友人を、神の使いとみなすか悪魔の使いとみなすかで、意見は分かれそうです。
 「アヤーナ」
 人間の運命というのは、どのような奇跡によって左右されるのか。その日、歩いていた場所が数センチずれていたかいないかが、生死の分かれ目となったりする。思いもよらぬ奇跡が現れるひともいれば、偶然にすら恵まれないひともいる。この作品に関しては、巻末のキング自身による解説がずべてを語っているような気がします。
「どんづまりの窮地」
 犬猿の仲である隣人から届いた、突然の和解を求めるメッセージ。それに応じてかれに会いに出かけた主人公を待ちうけていたものとは…ある意味、この作品集でもっとも恐ろしく、耐えられず、悪趣味な作品です。これを書きながらにやにや笑っていたキングの表情までも浮かぶような感じがする。おうさまはいつまでもこどものこころをわすれませんでした。しかし、とんでもなく面白いこともまた確か。絶対に映像化されないと思います。
 このように、全部で6編が収録されていますが、どれも大変バラエティに富んだ内容で、キングという作家の魅力のエッセンスが堪能できる内容だと思います。おすすめ。

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