「心から愛するただひとりの人」ローラ・リップマン(ハヤカワ・ミステリ文庫)



 ハヤカワミステリ文庫で現在出版されている「現代短編の名手たち」というシリーズの一冊です。作者に関してまったくなんの知識もなく手に取りました。解説によると、女性の私立探偵を主役にした長編で評価されている女性作家のようです。全部で17篇の短編が収録されています。最初のうちは、ちょっと捻った感じのミステリ短編が続くなーと思って、気軽に読んでいたのですが、少しずつ、不穏な雰囲気が高まってきて、最終的には大変に読みごたえを感じることができました。
「知らない女」
 女だてらにフットボールをするやせっぽっちの16歳の女の子、ソフィアの父はポーカーに目がなく、ツキに見放されると、彼女の持ち物まであさって金に換えてしまう。やがて、ソフィアが母からもらった先祖代々伝わるアメジストのネックレスまでが姿を消したことにより、ソフィアは頼れるのは自分だけだと知る。そしてソフィアが取った行動は…。孤独な少女の策略とそれが彼女にもたらした力の感覚は、不穏さに満ちているけれども、自分と自分の大切なものを他人にいいようにされないために、少女が取ることのできる方法が、この世にいくつあるのでしょうか。わたしはソフィアの行動を否定できない。そして、彼女の禍々しさに憧れさえするのです。
「魔性の女」
 美しさを武器にして夫を取り換えてきた初老の女性、モナ。68歳になったが、61歳でも通る外見を維持している。四番目の夫を亡くし、高級マンションで一人暮す彼女がスターバックスで出会った男は、モナに初めての仕事を持ちかけてきて…。アメリカにもあるんだなあ熟女ポルノ。いや、あるだろうけど。あっちはジャンルがそれはまた広そうで、隙間産業も多そうだけど。そういう世界が垣間見られる面白さだけでなく、いっけん無邪気な童女のようでもあるモナの生きるための本能、とでも呼ぶべき才覚に痛快さを感じました。いや本当に。
「心から愛するただひとりの人」
 シングルマザーであり高級娼婦であるエロイーズは、息子のサッカーの試合で顧客と再会する。娼婦であることを周囲には隠しているエロイーズに対して、客は脅迫を行う。窮地に陥ったエロイーズの耳に飛び込んできたあるニュースは…。娼婦という職業を安全なものにしようと細心の注意を払い、そこで働く女の子の為に健康保険まで準備する、自立した娼婦、エロイーズというキャラクターは、なんとも魅力的で、そして美しいものです。よくある「黄金の心をもつ娼婦」というキャラクターではなく、誰よりも愛する息子のためにだけ生きているエロイーズのタフさの下地には、女性としての一般的な幸せや愛情生活を切り捨ててきた孤独もまた塗りこめられていて、それが彼女の造形に深みを加えていると思います。
「ARMと女」
 素晴らしい聞き上手としての魅力をたくわえたサリーが、離婚した夫によって、これまでの家と生活を奪われそうになったとき、考え出した方法とは…。女ってこわい。ある意味、この短編集のほとんどの作品にいえることなのですが、女ってこわい。愛情でも夫でもなく、自分のこれまでの満たされた生活とこどもたちのためになら、どのようなことでもやってのける女ってこわい。そして、己の大事な物のためならば、けして直接的な方法でなくとも、蜘蛛の糸のような策略をもって自分の欲するものを手に入れる、そういう女性の感性を、僅かばかりでも自分にも理解できるのが、また怖いのです。
「女を怒らせると」
 これもまた高級娼婦エロイーズを主役とした作品です。エロイーズの妹、ミーガンは自分よりも生活ランクが高い姉を妬んでいる。4人の子供を育てながら専業主婦として働く彼女の夫が失職したときに、彼女がとった方法と、それが引き起こした狂気とは…。女って(略)。しかし、女はタフになれます。これほど知略を働かせることはなくとも、己の欲するもののためになら、どこまでもタフになれる女がいるのです。彼女たちの前では、善悪も真偽も関係なくなる。嫉妬深くヒステリー気味だったやせっぽっちのミーガンが、己の行動により、ある種のパワーを誇示できるようになっていくその過程は不気味で、けれどごく自然なものでもあります、怖かった。
 ひとくくりにすることが良くないとわかってはいますが、女性が生来持ち合わせている自分の愛するものへの優しい視線、そして、それを奪われようとしたときの狂気のような激しさ、知略といったものが、この短編集のそこかしこによく溢れています。女の怒りのすさまじさ。それはもうおそろしい行為も行われるのですが、彼女たちはけしてモンスターではない。自分の心地よい場所、愛するこども。そういったものへのほとばしるような愛情が、ほかのものを押し流していったとき、どういう場所にたどりつくのか。ミステリとしても面白かったですし、現われている人間像も興味深い、愉しい一冊でした。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする