東京都の青少年健全育成条例について

 ここ最近、ネットではたびたび話題として取り上げられているため、すでにご存じの方も多いかと思います。現在、東京都青少年健全育成条例の改正案が、提出されています。
 まずは、こちら→評論家、藤本由香里さんのMixi日記(URL)。Mixiが閲覧できないかたは、こちらの転載(URL)をどうぞ。難しい条文のなにが問題なのかを分かりやすくまとめられています。
 また、こちら→東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイト(URL)。問題の全体像を俯瞰することができると思います。
 これらのほかにもネットを検索していただければ、様々な見方や意見をご覧頂けると思います。ぜひ、それらもご覧になったうえで、ご自分で判断していただきたいのですが、あらゆる創作を愛する方々(このブログに目を通して下さっている方はそのような方が多いのではないかと淡く期待します)に、この問題を知っていただきたく、自分のブログでも取り上げることにしました。
 わたし個人は、そもそもこういう政治的な内容は敬して遠ざけるタイプの人間です。正直いいまして、こういう問題に関しては、ただもう胸が痛むというか、己の居場所を失ってしまうような心細さを感じ、なるべく目をそらしたい、だれか自分以外の有能な人が頑張ってくれることを望みたいという気持ちになるだけでした。オタクという人種に一般の人々が向ける視線に対し、怒りよりも先に恐ろしさを感じてしまう、そういう怯えが先にたつ人間でした。オタクというものが、言葉として存在はしていても、世界からはまったく個として認識されていない時代の空気を、かろうじて知っている世代であるからかもしれません。
 あと、なにより東京都の条例に対し、遠く離れた地方の人間がなにが出来るだろうという気持ちがありました。議員あてにメールを出すことは出来るけれど、票としての重みももたない声が何の役に立つのだろうか、また、そもそも議員になにをお願いすればいいの?議員へのメールなんて書いたことないし!という迷いのなか、あれこれ考えあぐねていましたが、まことに微力ながらも、自分のブログでの告知と、それでもやっぱり拙いながらも、自分なりに考えた内容のメールを、都議会議員に届けようと思うようになりました。Twitterなどを通してこの問題に真剣に取り組んでいる人々の行動を見たこと、また、愛読しているBL作家の水戸泉さんのブログ(URL)を読んだことがきっかけです。みとっちだって!というと失礼ですが、なんていうか、すごく身近な声が聞こえた感じがしたのですよね…。
 表現の自由、規制の問題も、もちろん大きいものですが、わたしがなによりもこの条例をいやだと思うのは、これが実際に性被害にあうこども、あるいはかつて被害者であった大人にとって、どれだけ有益なものか、その点がとても疑問だからです。これは、この条例を通過させようとしている人々が、現場の、性被害にあった子どもたち、あるいはそういう子どもと接する機会のある医療福祉分野の職員と会話を交わし、かれらの生の言葉を聞いたうえでの結果なのでしょうか。この先、本当に被害を受けたこどもたちを救済するより有効な条例が提出されたとしても、いちど、この条例を通過させた人々が「わたしたちはその分野に関してはやれることをやりましたので」的に、流してしまうことはないでしょうか。まったくの素人の根拠のない不安かもしれませんが、わたしはそれを恐れます。救われるべき、守られるべきは、こどもです。そして、大人が本気でこどもを騙しにかかったとき、その嘘を見抜けるこどもは滅多にいないのです。
 そして、創作は人間を救います。慰めます。癒します。それはジャンルや作品の優劣によって判断されるものでないのです。だれか個人がどんな作品から何を受け取るか、それを完全に規定できる人間や機関など存在するのでしょうか(もちろん、傷ついたり、不快になる可能性だってあるのです)。しかし、この条例で取り締まりの対象となる作品のなかにも、誰かを救う力をもった作品は多く含まれているでしょう。つまり、この条例は、傷ついたこどもが創作によって慰めを得たり癒される可能性をも奪う条例であるとわたしは思うのです。わたしもまた傷ついたこどもでした。そして多くの創作により救われてきました。だからこそ、その可能性を奪う権利は、誰にもないと思うのです。
 長々と書いてきましたが、このブログをご覧になったみなさんに、なにかを感じていただければ幸いです。わたしの意見は意見として、ご自分で判断をし、考えていただければと思います。

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