「言い寄る」田辺聖子(講談社)


 デザインの仕事で自立して生活している乃里子。ほっておけない友人の相談にのったり、新しい男と出会って気ままに遊んだりしている毎日。忙しくも愉しい生活だけど、本当に好きな男には、いくら言い寄ってみても、うまくかわされるのか気づかれないのか、地団駄ふんでしまう結果に。それでも、好きな気持ちは無くならない。交錯する人間関係のなかでも、自由気ままに男と戯れ、仕事をしていく乃里子に訪れた、思いも寄らない運命は…。

 これまで、エッセイは大好きで愛読していたものの、小説のほうはまったくといっていいほど読んだことが無かった田辺聖子の小説です。小説を読まないままでいたのは、男と女の恋愛小説だし、昭和の時代ということで、世相とか風俗とかで違和感があるかもしれないし、大阪弁でちょっと泥臭かったらいやんだし…という、様々な先入観から。しかし、今回、新装版として出されたこのシリーズの装丁が、落ち着いているのに可愛かったため、ちょっと手に取ってみる気になりました。

 びっくりした。わたしがいままで恋愛小説と思って読んでいたのは何だったんだ、と愕然としました。この軽やかさ、甘さ、わずかばかりの、苦さを堪能いたしました。

 よく恋愛小説は、女子供向けの菓子だと揶揄されますが、ならばこれは本物の職人が創る仏蘭西菓子です。かたちだけの花の塊を砂糖で固めたような、口に放り込めばそりゃ甘いんだけど物足りなく、じゃりじゃり砂糖がすり減る音が響くような砂糖菓子ではありません。香りも高くふっくらと膨らんで、歯触りも優しい焼き菓子なんだけど、思いのほかコクがあって、主張しすぎない果物の砂糖漬けなんかも沈んでてアクセントになってるようなお菓子。なまじ美味しいものだから、どんどん口に放り込んでいくと、あれれ、これって洋酒もけっこう利いてない?なんだかぽわーっとしちゃったよ、という一級品のお菓子です。すごいすごい。これ美味しい。

 こんなに読んでいて気持ち良い小説ってないです。恋愛小説というか、自由気ままに生きているような女性の、恋と性愛の自由の両立が嫌みなく描かれて、実に心地よい。そして、自由の代償もまた思い知らされる切なさもきちんと存在しているあたりが、単に願望充足な面白いだけのお話ではありません。そこかしこに時代的なずれを感じないでもないですが、それがほとんど風俗面の事に限られていて(ネットとケータイが存在しない世界であります)、男女の機微、という面ではなんの違和感もありません。まったく本当に、男って、どうしてこんなに、アホで、鈍感で、間抜けで、ずるくて、残酷で、そしてなにより、こんなにかわいいんでしょう!もちろん、それは乃里子をはじめとする女性陣のキャラクターにもいえることです。とりわけ、思うに任せない自分の気持ちにきりきりするときの乃里子の可愛さは異常ですけど。

 そして、一時はあんなにいとしくて可愛いと思えたことが、変わっていくこと。その人物は人間としてそのままで、人が変わったわけではまったくないのに、こちらの気持ちの移り変わりに合わせて、ひとつの行為にともなう感情も変化していく。それがひとと関わるということなんだな、と自然に気づかされます。恋愛っていいなあ、異性と戯れるっていいなあと思います。乃里子が関わる男との逢瀬の心の揺れ動き、なんともいえない我が儘、いじらしさに、己の気持ちも震えるようで、ため息が出ました。

 わたしはこの乃里子よりも年上ですが、もっと若いうちに読んでなくてむしろ良かった。「わたし乃里子―」とか勘違いして、セリフをそのまま使うくらいにはお調子者だったと思う。そういう、背伸びしたい女の子が使いたくなるような、不自然でないのに、カッコいい、生きた言葉が溢れています。いや本当に、36年も前の小説とは思えないくらいの感覚と描写の小説で、むしろ最新の文学的にこなれた作品よりも、ずっと読みやすくしなやかに生きている女性と出会えた感じがしました。おすすめおすすめ。わたしも、これから他の田辺作品をどんどん読んでいくことにいたします。世の中には面白い本がいっぱいあるんだなあ。幸せです。

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