「二つの月の記憶」岸田今日子(講談社)



 桜庭一樹の読書本で知りました。もちろん、女優である著者のことは知っていたのですが、本を書いているとは知らず、それも、エッセイにとどまらない、不思議な物語を書いているとのことで興味をそそられました。まずは「こどもにしてあげたお話してあげなかったお話」を読んでみたところ、これがなかなか。童話めいた「こどもにしてあげたお話」はともかく、女優らしいエッセイをはさんだあとの「してあげなかったお話」が、よかった。そりゃこれはしてあげられんわ、という感じ。とりわけ、ある日女優に届いた、美しい兄への思慕をつづった手紙という形式をとった「おにいちゃま」が白眉。話自体は、こういうテイストの話であれば珍しいわけでもないのですが、それに対してあのラスト。思いついても書くのをためらうんじゃないかと思う、不思議なおぞましさに満ちていました。


 というわけで、次に手に取ってみたのがこの本です。丸一冊、そういう不思議な話で占められていて、とても満足できました。わたしの大好きな奇妙な味です。うまうま。作田えつこのイラストがまたぴったり。
「オートバイ」
 このラストは読めなかった。一冊の本の導入にふさわしい、美しいけれど、ちょっと奇妙な恋の物語です。
「二つの月の記憶」
 こどもたちは、母親には区別がつかない二体の人形を 『いいもん』と『わるもん』になぞらえて楽しく遊ぶ。「月が二つあった頃、『いいもん』は『わるもん』だったんだよ」子供が意味なくつぶやく言葉に、母親の記憶が刺激される。そう、確かにあの頃、月は二つ浮かんでいた。これは、あり得る話で、なおかつあり得ない話で、どこからそういう発想が浮かぶんだろうとちょっとぞっとした。なにも恐ろしいことは起こらず、一滴の血もこぼれない。けれど、いつまでも続く悪寒にも似た、余韻。不思議と怖いお話です。
「K村やすらぎの里」
 このタイトルはないわー。油断して読んでたのにないわー。どうやら著者の作品には、ひとつの妄執に憑かれたひとが登場することが多いようですが、それでも、どうしてこう奇妙なことを思い浮かべて、なおかつかたちにすることができ、それをためらわないんだろう。実際に起きた事件がモチーフとなっていますが、この話の芯はそのことではなく、それよりもずっと怖い「本当のことを作り話として」語られていくひとりの女性の欲望です。最後に語られる、もうひとつの彼女の欲望。その正体はあいまいなままで、それも怖かった。
「P夫人の冒険」
 ある日、豚のP夫人が生んだイノブタの子供たち。それでP夫人はあの日の出来事が結実したのだと理解する。豚のP夫人と酋長と呼ばれる猪との関係は、ちょっとせつなく、それを取り囲む人間たちの所業はグロテスクな感じがします。最後のP夫人の台詞が……女ってこういうこと、云うよね…。
「赤い帽子」
 特定の作品に寄らずとも、童話をエロティックに分解したり再構成する手法はそんなに珍しいものではありませんが、ここでは赤ずきんちゃんがその材料に。エロティックといいつつ、具体的ななにかがはっきりと書かれているということもなく、ただその雰囲気が、奇妙に騒がしく艶っぽい。なにひとつ描写せずとも、ただ「それから。」と書くだけで、赤ずきんの身に起こったことが分ります。こどもに読ませるわけにはいかない童話です。
「逆光の中の樹」
 この作品集のなかで、唯一これだけはダメだと思う。特定の障害への扱いが無遠慮すぎると思う。ただ、その扱いこそが、作中人物の個性を表現するものとして、あえて作者が使用したものである可能性は高い。なので、なんとも言い難い。それでも、こういう設定にするのには、デリケートな問題だと思います。
「引き裂かれて」
 とりわけ仕掛けがあるわけでも、偏った人物が存在するわけでもなく、また日常を描くわけでもないのに、心に残る作品です。最後にスクリーンに映った情景が、事実か錯覚かは読み手の判断しだいとしても、作中人物が語る「人はいつも引き裂かれている。上半身は空に、下半身は土に。男と女も、国と国も、自分と他人も」という言葉がひどく印象的でした。
 水準が高い作品集です。短いお話ばかりなので、さらっと読めますが、実に深く余韻が残りました。

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