「半島」松浦寿輝(文春文庫)



 大学を辞して、ひとり、瀬戸内海に面した小さな半島に身を寄せることにした40代の男、迫村。ぶらぶらと無為な日々を過ごしているうちに浮かぶ、これまでの己の人生に関する追想。そして、半島で出会った謎めいた人々との関わりが、かれを思わぬ運命にひきずりこんでいく…。
 これも桜庭一樹の読書本で知った作品です。これまでの数冊でもそうだったけど、これで確信した。桜庭一樹のお薦めはわたしに合います。世に溢れる膨大な本のことを思えば、信頼できるナビゲーターを見つける事が出来ることは大きな喜びであり収穫です。どんなに好きな作家や文章が面白い批評家でも、そのひとのお薦め本は「どうもその…」な場合も珍しくはないので。嬉しいので、桜庭一樹の小説自体も、もっと読んでいこう。閑話休題。
 しかし、読み始めてしばらくは、この独特の、句読点がなかなか見つからない文体に、ちょっと戸惑いました。もしかして句読点が無いのかと思って確認すると、ちゃんと存在している。つまり、句読点を意識させない、長くのたうつ蛇のような独特の文体なわけで、もしかするとそれが最初のハードルとなり得るかもしれません。けれどその違和感は、読み進めるうちに溶けるように無くなっていき、数ページ後には、もう、それでないと物足りないような感じになりました。著者は現代詩人でもあるそうですが、それもなるほど、と思わせられる、使われる言葉から立ち上がっていくアウラに、しばし酔わせていただきました。まさに、ことばのちから、です。
 なにも起こらない、といえばなにも起こらず、それでも不穏な雰囲気や艶めかしい出来事がふわっと立ちあがっては姿を消し、長い迷路のなかを惑っていくと思わぬ扉を開く羽目になっていく、そんな物語です。もっとも、異界とこの世の間をさまよう迫村の歩みが、なんとも危なっかしいものでもあるので、読んでいて「迫村うしろうしろ!」とか云いたくなってしまったことも。いや申し訳ない限り。
 ひとつひとつの出来事に意味付けすることはあまり意味がなく、迫村がたどる運命自体がどうこうという物語でない。こう書いていくと、高度に文学的な作品と思われそうだけど、悪い意味でのそれでなく(つまり退屈だとか難解だとか)、読み手を飽きさせず、展開から眼を離させない一定のペースを保っていると思います。ただそれでも、この物語全体が表現しているものは、あまりにも深い。自分がそれをすべて理解しえたとは思えず、なんとももどかしい感覚が残るけれど、それでも、たまらなく面白い。こういう体験があるからこそ、読書はやめられないと思いました。

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