「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子(朝日出版社)



 ここでの『戦争』は、いわゆる太平洋戦争につながる、日清、日露、日中戦争への道のりをさします。本書は、東大の近現代史の教授である著者が、歴史研究会に属する中学一年から高校二年生を対象に、近代の戦争をめぐる日本の歴史について、というテーマでの対話をまとめた本です。中高生を対象にしていますが、大人も十二分に学ぶことができる濃い内容が、わかりやすく差し込まれるキーワード、牧歌的でありながら的を得たイラストで差し出されています。とくに、歴史を語る時に必要不可欠な、時代に登場する人物像についても、偏ることなく公平に(わたしが感じる限りでは)紹介されていて、この困難な時代に登場したそれぞれの人々の思いを想像するのに役立ちます。たかだか80年近く前のこと、すでに歴史上の人物といえど、そんなに理解に苦しむような人々ではありません。むしろ時代の変遷を経て、あるていどの客観的な視点を持つことで、より深い理解が可能となった人間たちが、そこにいるような気がします。
 著者の専門は、1929年の大恐慌と、そこから始まった世界的な経済危機と戦争の時代、1930年代の外交と軍事です。そして、そこから学べることとして「国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないとの危惧であり教訓です」と述べる著者によって、あの戦争へと至る道のりが紐解かれていくさまは、スリリングでもあり、興味深いものです。中高生が聞き手ですが、こどもっぽかったりふざけた部分は微塵もなく(ていうかこの子たちは賢い…)、むしろ読み手の素直な疑問を代弁してくれているような発言が多く、こちらの理解を助けてくれます。また、著者からも頻繁に中高生に対して疑問が投げかけられることで、こちらも考えることができ、さながらこの対話の疑似体験が可能となるようなすぐれた構成になっていると思います。適度に差し込まれるイラストと人物紹介が、ちまさにそんな感じ。その場にあるホワイトボードに、さっと描かれて理解を助ける図が登場しているのに似ています。
 あの時代の日本というと、そろそろその記憶が残る人々も少数派になる時代になりました。ただ、わたしは思うのですが、ひとつの時代を理解してそこからの教訓を得るのは、その時代を生きた人間だけの特権ではないはずです。時代が流れば流れるだけ、人間の視野は広くなり、多くの要素や価値観への理解は深くなる(と思いたい)はず。そこではじめて、気づくことができる、まさに終わったあとでないと現れない全体像のようなものがあるのではないでしょうか。歴史を語る時に、なんらかのバイアスがまったく存在しないことはあり得ません。ただ、それでも、一次資料に誠実にあたり、一つの国の視点からだけでなく、さまざまな国の思惑や考えを包括的に見て再構成していくくことで、全体のかたちが明らかになっていくこと、そういう姿勢がこの本にはあると思います。そしてそこには、いくつもの、目から鱗がとれるような視点がありました。ぽろ。
 しかし、読んでいて、当たり前のことかもしれませんが、実にやりきれなくなったのが、日本が戦争へと突き進んでいく過程の自然さ、ですね。自然と云うとあれですが、こういう考えに基づいてこう進んでいき、その場その場での最善を選んだのなら、結果が戦争となってしまったことが無理なく理解できる、ということ。そこには、絵にかいたような悪人も愚鈍な人物も存在しない。英米相手の開戦に対してためらいを感じる天皇を説得するのに、軍が持ち出したのが、よりにもよって大阪冬の陣の逸話であるという、呆気にとられるようなエピソードも、笑うよりも、その先を知っている人間にとっては、どこか物悲しい感じさえ浮かびます。だれもが必死で大真面目に、日本という国の行く末を考えていた。けれども、より客観的な大きな視点からの判断は出来なかった、あるいはしたところで、多くの人に受け入れられることはなかったということが、日本をこの袋小路に引き込んでいったのかと思います。しかし、その袋小路自体を作り上げたのも、また当時の日本だったのではないかという気もします。その選択がもたらした災厄を思えば、実にやりきれない気持ちになります。
 また、この本では、太平洋戦争について、日本の場合、受身の、被害者としての立場で語られることがなぜ多いのかということに関しても、戦死者の死に場所を教えられなかったことが、日本古来の慰霊の考え方からして到底受け入れらないものであったこと、また、満州からの引き揚げ記憶をもつ人々の多さ(敗戦時の人口の8.7%の国民が体験している悲劇だということ)などの考えを挙げています。さらに、自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格がもたらした悲劇についても述べられています。
 この本全体は、とても静かな落ち着いた口調で語られています。そこには、極端に偏った言葉や勇ましい英雄譚はありません。困難な状況下で、それでも最善を尽くそうと懸命に生きた人々の考えが、国や世界をどう動かしたかということがみてとれます。さまざまな種類の情熱によって語られることが多い時代の歴史だからこそ、その静かさがより好ましいものに感じられます。もちろん、この視点だけがすべてないことも、著者が理解していることは、その言葉の端々から十分に伝わってきます。歴史に学ぶ姿勢で読んでも得るところはたくさんあるかと思いますが、こういう時代の歴史だから、と身構えることなく、こういう時代だからこそ世界はこう動いたのか、という謎解きを楽しむような気持ちで読んでも、とても興味深い読書体験を得ることができると思います。おすすめです。

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