「不幸な国の幸福論」加賀乙彦(集英社新書)



 東京拘置所医務技官という立場から、死刑囚との関わりを突き詰めた精神科医でもあり、作家でもある著者、語り下ろしの幸福論です。1929年生まれ、81歳の著者の目に映る現在の日本人の問題とは…と紹介してしまうと、ありがちな「昔はよかった」論かと思われそうですが、そうでないから意味がある本といえます。
 ていうか、軍国少年として幼年期を過ごし、陸軍幼年学校で鍛えられるとともに苛め抜かれ、終戦とともに価値観の変換を目にしたことによるシニカルな視点を抱えつつも、理想を忘れない、そういうものの見方に、どこかで覚えがありました。ふと気づいて調べたら、なだいなだ(wiki)と同い年でした。戦前の亡霊のような人々とも、団塊の世代とも違う、ちょうどそのあいだのエアポケットのような世代の人々は、多感な時期に終戦を経験したうえでのシニカルさだけでなく、戦争中の記憶を保ちつづけているからこその熱さも持ち合わせているような気がします。多数派の熱狂がいともたやすく別方向へ変換されうることを知っており、だからこそ冷静な判断が必要なのだという考え方を、多感な中高生の時期に、なだいなだのエッセイから教わったことは、現在のわたしの価値観に多大な影響を当てています。それはさておき。
 一応、水と安全は保障されている国で生活しながらも、幸せになれないと感じる国民性の仕組みはどこにあるのか。著者はさまざまな視点から、日本人の国民性を検証し、データから見る日本人の生きにくさについて、見解を述べます。それは目を通すだけでも、ぐったりするようなしんどい事実でもあります。しかし、そういう事実を抱えていても、幸せになる方法はある、と説く著者の姿勢に、わたしは健全なものを見ます。「昔は良かった、それに比べていまの日本は…」という、高齢者にありがちな言説はそこになく、むしろ、存在するのは「昔の日本人もそうだった。だからこそ、いまのわたしたちに出来ることはいくらもあるはずだ」とでもいうような、具体的な思考方法です。一言でいえば、それは、「自分の頭で考えることの重要さ」です。
 その「自分の頭で考える」ことの、具体的な方法も多く述べられているのですが、それを読んで、もしかしたら、綺麗事と感じるひともいるかもしれない。しかし、多くの世代の人々と接し、さらにその経験を深める考察を続けてきた81歳の著者が、到達した言葉の重みは、そうやって流してしまうには勿体ないだけの真実を含んでいるとわたしは感じました。「自分の人生の主人になること」は、シンプルだけれど、どんな人生を送るひとにも必要な目標であると思います。
 堅い内容かもしれませんが、語り下ろしなので、平易な言葉で分かりやすく読むことが出来ると思います。現代の日本で生きて幸せになるとはどういうことかをちょっと考えてみるきっかけに読んでもらいたい一冊です。

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